私たちの部落は小学校から2キロ以上離れている。雪の日の通学は大変だった。雪が降ると道が埋まってしまうので、雪の朝は隣の家までカンジキをはいて道をつけるのが小学生の日課であった。大雪の日は部落の当番の大人が何人か先頭に立って部落のはずれから町まで道をつけ、学童はその後について通学した。列車が踏切で立ち往生しているので汽車の中を通ったこともある。屋根に積もる雪も大変で、二階建ての屋根から雪を投げ上げる年もあった。
その雪も3月頃になると峠を越す。前の日に雨でも降って翌朝うんと冷え込むと一面の雪が凍りついてガチガチになる。私たちはシンバイと言ったがどこを跳んで歩いても平気である。学校へも一直線で行ける。大雪の年には途中電線を跨いだり、電柱の上に腰を掛けたりしたこともあった。
雪国の行事にも懐かしいものがあった。「鳥追い」の時には雪の洞を作り、その中で餅を焼いたり甘酒を呑んだり、スゲブウシを被り、鳥追いの歌を歌いながら他の洞へ廻って食べ物を交換するのが楽しかった。「十二講」の時は小さな雪の御堂を作り、供物をして、的を立て、その近くから矢を射る。それから天に向かって「テッチョウクリカナックリ、烏のメダクダマに当たるように、スットントンガトン」と言って矢を放つ。
雪が消えると農作業が忙しくなる。田植え、田の草取り、草刈り、桑の葉摘み、畠仕事、稲刈り、稲干し、米こしらえ・・・小学生といえども一人前の労働力である。父母の理解で学校こそ休まずに通わせてもらったが、家に帰ればすぐ農作業の手伝いである。田んぼの中には「ヒル」がいる。これが足にくっつくと血を吸われる。痛くはないがとても気持が悪い。暫く畔の上に避難する。
上りの上野行きの列車が通る。「ああ、あの汽車に乗れば6時間もすれば東京に行けるのになあ・・。大きくなったら東京へ行きたいなあ」。どうも農作業は余り好きではなかったようである。
それでも稲刈りの時など、びっしょり汗をかいた後中休みとなる。青空の下、父母をはじめ家族一同車座になって頬張るふかしたサツマイモの美味しかったこと。考えてみれば父母も健在、最高に幸せだった頃かも知れない。
雪凍しみば自宅学校一直線 見渡すかぎり銀色世界
雪洞の中で焼く餅甘いお茶 外に聞こえる鳥追いの唄
小学生一人前の働き手 田植え田の草その他もろもろ
郷土紙「越南タイムズ」思い出の雪国歳時記より 絵・文 大嶋月庵
道踏み当番
屋根の雪掘り
鳥追い
十二講
田植え
稲刈り
「日々是好日」 −高橋春雄・私の履歴書−