私の履歴書30    車 の 運 転       昭和59年〜平成20

ニューヨーク事務所勤務の頃、アメリカで運転免許を取っていたのが定年退職後大変役に立った。

定年になり暇が出来たので、自動車教習所の先生をしている方にお願いして自分の年齢と同じ数の60時間の講習をお願いして車の運転練習を始めた。新宿駅で待ち合わせ、世田谷方面の教習所に行き練習を重ねた。最後は中央高速道路にも出て一通りの講習を終わった。先生から中古の「コロナ」を譲っていただき、一年後昭和61年に新車の「マークU」を購入、愛用してきた。

関東甲信越にある謡蹟、板東札所、秩父札所、ゴルフ場、実家訪問等、良く走ってもらった。

私の運転は原則として、夜は駄目、雪はもちろん、雨も駄目。都心乗り入れも出来るだけ避けている。同乗者は家内のみ。家内は私が定年になってから運転を始めようとすると猛烈に反対したが今では結構ドライブを楽しんでいるようである。

兄弟会参加のため栃木県の塩原方面に出かけたとき、オーバーヒートをさせて車が動かなくなってしまったが、折良く自動車修理のお店の前だったこともある。山の中だったらと思うと冷や汗の出る思いである。

私がクルマで出かけた遠い所といえば、北のほうでは新潟県の弥彦山、栃木県の那須高原、茨城・栃木・福島の県境にある八溝山日輪寺、東のほうでは千葉県の犬吠埼、南のほうでは房総の白浜、伊豆の石廊崎、西のほうでは木曽路の南端園原の里を通って岐阜県の中津川、長野県北西部の謡曲「紅葉狩」の里、鬼無里村や戸隠村である。

20年余にわたる愛車でのドライブは、関東甲信越地方にいろいろの思い出を残してくれ、定年後の生活を楽しいものにしてくれた。

75 歳を過ぎると免許の更新に講習会受講が必要になってくる。そろそろ辞めることも考えなければと思いながら、あれば何かと重宝なので更新の手続きをしてきた。しかし、83歳を目前に控え、バッテリーがあがってしまったのを機に、廃車を決意、長年お世話になった近所の小川自動車にお願いして廃車の手続きをとってもらった。メーターは98.000キロを指していた。


このクルマともに乗るのはただ一人 わしに命を預けたる人  

雪の中もとより雨の日暗いとき 都心の乗り入れひらにご容赦

弥彦山 新潟県 (昭和60.8)
弥彦山 新潟県 (昭和60.8)

那須茶臼岳 栃木県 (昭和60.8)
那須茶臼岳 栃木県 (昭和60.8)

八溝山日輪寺 茨城県 (平成1.7)
八溝山日輪寺 茨城県 (平成1.7)

犬吠埼 千葉県 (平成18)
犬吠埼 千葉県 (平成18)

野島崎付近 千葉県 (平成1.8)
野島崎付近 千葉県 (平成1.8)

奥石廊 静岡県 (昭和63.4)
奥石廊 静岡県 (昭和63.4)

神坂神社(神坂峠) 長野県 (平成7.10)
神坂神社(神坂峠) 長野県 (平成7.10)

戸隠 鬼女岩屋付近 長野県 (平成6.10)
戸隠 鬼女岩屋付近 長野県 (平成6.10)

愛車とお別れ 長いことありがとうございました (平成20.2)
愛車とお別れ 長いことありがとうございました (平成20.2)



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「日々是好日」 −高橋春雄・私の履歴書−