資料   「教授嘱託会の来し方−行く方」
     (「宝生流教授嘱託会会報」第141号  平成13年11月 より)

  座談会 教授嘱託会の来し方―行く方(抜粋)

      10年前から振り返り、10年先を見据えて


      日 時 平成13年8月28日(火) 2時〜4時20分

      会 場水道橋金刀比羅会館


 去る平成13年8月28日(火)水道橋金刀比羅会館において教授嘱託会本部役員他八名により座談会を開催し、嘱託会の過去10年を返りみて、思い出話から始まり、それをふまえて、各種事業の問題点を掘り下げ、流儀の拡大と向上発展に向けて、予定時間を延長、活溌、建設的な意見が述べられました。


   出席者

秋山  尚(本部理事・司会)

大谷 龍祐(本部顧問・前理事長)

小林 秀夫(本部理事長)

高橋 春雄(前本部副理事長)

玉井 道夫(本部理事)

箱田 俊雄(本部副理事長)

溝渕  勉(本部副理事長)

渡井 蘭子(本部理事)

   記録・編集

斎藤  実(本部事務局長)

   誌上参加

安久都和夫(前本部理事)


司会 ・・・・・・初めてのことでございますので、不馴れでありますが、宜しくお願い致します。皮切りに小林理事長から、ご挨拶をお願い致します。


      はじめに

小林 皆様、今日は、お暑い処有難うございます。かねてお願い致しておきましたが、今日は現役の理事長、副理事長4人に加えて、過去十数年永らく御協力頂きました、大谷さん、高橋春雄さん、渡井さん、安久都さんに加えて、最近地方から理事として参画して頂きました玉井さん、秋山さんに入って頂いて、今から十年ほど前をふり返り、これから十年先を見据えて、思う存分忌憚なく、宝生流のこと、嘱託会のことを話し合いをしましょうとご案内をしたわけでございます。・・・・・・・

 既に皆さんご存知のようにこの座談会は、もちろん嘱託会の会報に掲載するべく企画したわけですが、過去を振り返ってみますと、嘱託会の結成は、昭和30年であると承っておりますが、それと昭和49年に渡辺良吉さんが、「嘱託会二十年を顧りみて」ということで、相当のページ数を費やした原稿を書いておられましたが、これが当初の二十年間となります。

 その後は平成3年になりまして、大谷理事長の時代ですけど、永らく嘱託会の陣頭指揮をしていらっしゃいました佐藤芳彦先輩が亡くなられたことを受けて、その追悼座談会が行なわれておりました。これは、平成3年の4月に行なわれております。この二つは実は会報の中で取りあげられてきたものでございます。今度そのほかに直接本部としての仕事ではないんですけれども、平成10年に高橋春雄さんが、当時副理事長でご活躍でいらっしゃったんですが、たまたま東京支部の40年が経過したということで、高橋さんのお骨折りで「東京支部四十余年のあゆみ」という一冊の本を作ったんですが、その中に併せて本部の今までの流れを分り易く編集しようということで当初から平成9年までのものを整理してもらいました。53頁から101頁まで約50頁を費して、記録が残っております。これは本部にとっては、大変に有難い記録でございます。

 ・・・・・・・・・・・

       全国大会・地方大会

 ・・・・・・・

司会 ・・・(番組作成について)・・これについて何かご意見がございましたら、高橋さんどうですか。割当時間とか選曲について。


       和倉、札幌、観賞能

高橋 それはですね。・・取捨選択して番組を作るということは、大変な作業のようでございます。私も何回かお手伝いさせてもらったことがあるんですが、今のところ以上にはなかなか難かしいんじゃないかと思います。

 それから離れますけれど、私は名古屋の六十三年の大会からずっと参加させてもらっているんですけど、その中で印象の深かったのは、和倉温泉加賀屋での大会ですね。おそらく嘱託会の歴史の中じゃ最高の人出、五百何十人ぐらい出たんじゃなかったでしょうか。えらい大勢の参加を得まして、私なんかもこんな加賀屋なんか行ける所じゃなかったんですけど、全国大会だから参加させてもらったような気がしますけど非常に印象が深かったので付け加えさせて頂きます。

司会 さすが加賀屋さんの接待、その他ですね、あれだけの人間を宴会場の進行とか、接客態度がああさすがだなと、日本一といわれるだけのことはあるなと。

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小林 今年は、まだ発表されておりませんが、関東甲信越大会でね、観光を企画したんですけど、割に皆さん参加人員が少なうございますね。隅田川の川下りをやったり、なんかしたんですがね、ちょっと人数が少ないようです。ということはやはり東京の観光というのは、全国の皆さんにとって既にご存知の所だからであろうかと思いましたけどね。・・・

高橋 その代り、東京でやるときには、前の日に宗家の能なんかをあの・・隅田川なんかの三代のね・・宗家と英照さんと今の和英さんと三人で隅田川をやったときには、初めは集まらなくて困るからと大々的な会員券の販売をやったら、今度は多過ぎちゃって、大分ご迷惑をかけました。笑・・

渡井 今度は、戻しで、・・・(大量の依頼分をやっと完売したらあとの返戻話で)

高橋 そうなんですよ、・・・当時は見所から溢れるんで困るんじゃないかと思ってね。

司会 懐しい思い出ですね。渡井さん御苦労様でした。笑・・

大谷 渡井さんに五回ぐらいいわれたかな。笑・・

司会 二十回か、三十回か。

渡井 いえ・・私は漸く完売し、ほっとしたあとでしたから、今度は受け終った分は、返戻出来ないものとして頂きたいでけです。

司会 それもさ、最初は押しつけたんだもんね。無理に売りに売り切ったものを返せでしょう。二重に効いているんですよね、あれは。まあしかしね、それも一つの思い出でございますから。

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       謡曲名所めぐり

小林 だから広い面で眺めていかないと、やはり前と同じプランでは、うまくない、といって十年前、十五年前に行った所でもまた新しく取り込んでみる。その辺のところは、高橋春雄さんの智恵ですね、私はいつも今の嘱託会の智恵袋高橋さんだとね。笑・・

 ほんとうに高橋さんは、データをそろえられてね、記録されていらっしゃることが一つと、もう一つはご自分で全国を回っていらっしゃる経験と、それを併せてですね、進言して下さるんですよね、現在箱田さんがこの名所めぐりのご担当をしていらっしゃるんですが箱田さんが、私がやっていたのと同じにやはり高橋さんに智恵袋になって頂いているんですね、それで非常にプラスになっていると、こう思うんで・・

 やっぱり旅行社と相談して決めるだけではね、・・うまくいかない。それに曲柄のことを入れて、それに丸みを持たせるといいますかね、手作りといいますかね、手作りのコースをやると皆さん案外喜んでくれると思うんですね。

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高橋 私が名所めぐりの担当を仰せつかったのは、針生さんの後を継いだ藤本さんが平成5年、陸前から陸奥の旅を担当されたあと病気になられた頃です。大谷さんに言われて、やむなくお引き受けしたものの、勝手が分からなくて本当に困ってしまいました。針生さんや藤本さんの作ったガイドブックを見たら、非常によく書いてあるんですね。こんなもの作らなければならないのかと、にわかに勉強を始めました。

 それと計画作成や下見の時には、地元の支部の方々に大変お世話になったのも忘れられません。越前若狭方面へ下見の時は真柄満、松田憲治のお二人に案内していただき、松田さんの運転で福井県から天橋立まで行きました。九州の時も安松武司さんが自分の車を運転して福岡市内、朝倉町、英彦山を経て湯布院まで案内してくれましたし、北陸の時も富山の澤田清則、澤井茂の皆さん、石川の直江勘七、山内三郎、田上恒夫の皆さんに下見案内や資料収集の面で随分お世話になりました。

 また地元の方々の協力がうれしいですね。例えば京都府八木町の氷室神社へ下見に行った時も、氏子さん達がわざわざ国道の所まで迎えに出て、田舎道を神社まで先導してくれました。社務所に招じ入れお茶の接待をしてくれながら神社の由緒を詳しく話してくれまして・・そんな方々のお世話があってなんとかやってこれた訳です。

司会 非常にうれしいですね。・・今年も花筐公園でしたが、地元の歴史研究会の方々が出て来てくれて、ご案内してくれて、そういうことは、この旅行でないと、・・

大谷 氷室神社に行ったとき、広い境内で古いひなびたお宮だったけどあの時のお宮の総代の中川存之さんが親切にお世話下さって今でも年賀状頂いているんですよ。また来てくれいってね。・・この氷室神社にはまた行きたいですね。

高橋 立派な資料をわざわざ作ってくれましてね。

大谷 帰る時に甘い柿を沢山もらってね。・・

高橋 ああそうでしたね。

 福岡県朝倉町の「綾鼓」の旧蹟を訪ねた時も町の教育長さんやら文化財保護委員の方が下見の時案内してくれたし・・本番の時も保護委員の方が三人くらい来てくれて、それはもう丁寧に案内してくれましたね。そういうのが、個人で行くのと、こういう立派な団体を背景にして行くのとはやっぱり違いますね。

 高岡のローソク能なんか、個人で行ったら観られませんから・・私は名所めぐりの担当をさせてもらったお陰で、普通観られないような所も沢山見せていただいたし、それに謡蹟めぐりが病み付きになってしまいました。・・それが今は私の生き甲斐みたいになっていますから、本当に有難いことだと思っております。

大谷 針生さんやら高橋さんになって、ああいう立派な資料が出来るようになったのです。針生さんの前には、私が書いておったのでB4紙3〜4枚だけでした。

高橋 ああそうですか。・・

大谷 これぐらい(B4)3〜4枚にね、行き先をかいて、5〜6行ぐらい説明を書いてね、毎年そういうものを作っておりました。そしたら針生さんがあれを本にして捌き売りよってね、うわーこれはすごい、これは針生さん頼む。・・笑

高橋 あれを見て私はびっくりしてしまいました。・・針生さんの真似をしようと、無い智恵を絞って書いたのですがそれを評価していただいた時はうれしいものです。倶利伽羅峠の古戦場に下見に行った時、立派な石碑があってこの戦いの経緯を詳細に書いてあったんですよ。源平盛衰記を抜粋したものですが、かなり長文のものです。それを写真に撮ってきて「参考」として、ガイドブックに載せておきました。ところが本番の時、バスに乗ったら、ガイドさんが、その記事を拡大コピーしてきて、バスの中で全部読み上げてくれましてね、それは本当にうれしかったです。


       夏期講座


        会報の発行

司会 ・・発行時期につきましてはこの辺にして、今まで会報に投稿された方もあると思いますが、内容的に「面白かった」「大変である」「あまり興味がない」等のお話を聞かせて下さい。

高橋 かって会の仕事のお手伝いをさせていただきましたが、今は役を外していただき気楽な立場になりましたので、現役の方では言い難いことをフリーな立場で二、三気付いた点を申し上げます。

 最近の記事を読むとややマンネリ化しているように思います。以前の会報(37年〜42年)を見ますと、大勢の会員に呼びかけていろいろなことをやっています。例えば、各県代表の座談会をやったり、夏期講座では各人の意見を個人名で37名分を9頁にわたって載せたり、「私の好きな謡の文句」を募集、21名が応募しています。その他誌上討論会の形式で「嘱託の無本について」の設問に対し25名の回答を11頁に載せたりもしています。要は広く、多くの会員に呼びかけ多数の声を反映する誌面を目指していただけないものでしょうか。

 更に昨今はホームページの時代になっており、教授嘱託会としてもホームページの開設を検討してはどうでしょうか。既に宝生会、わんや等でも始めており、個人でも北陸の方が加賀、福井、富山地区の謡曲の名所旧蹟について紹介しています。これは今すぐ会員、流友の増加にはつながるとは思えませんが、今後の方向としてホームページを考える時期に来ているのではないかと思います。

小林 今の北陸の方の話はまったく個人の人が開いているのですか。

高橋 その通りです。これはヤフーその他で検索してコピーした資料です。(各種の資料を披露していただいた)

 謡とか宝生流のシンボル的存在の教授嘱託会として開設すれば、結構アクセスする人も多く、宣伝効果も期待出来ると思います。パソコンの技術や、経費の点など問題はあるが、将来を見据えればボツボツ検討する時期に来ていると思います。

       宝生会とのつながり

      維持会員の減少

      嘱託会への入会勧誘について

      おわりに

玉井 本日の話は大変に有意義であり、全国の支部長会議の中でも時間を延ばしても流友の増加、若い人への普及につながるいくつかの問題を、議題として取り上げ、皆で考えてもらうようにしたら如何でしょうか。

大谷 大変に結構で、その通りですね。・・

司会 小林さん、締めくくりをお願いします。

小林 長時間にわたり、出席の皆様の熱意ある発言、また皆さんの長い体験からくる貴重なお話を承り感激しておりまs。これも偏に能楽界の発展、流儀の拡大、嘱託会の向上を目指したお気持の表われで、これをベースに私達も従来以上に頑張って参りたいと思います。二時間強の座談会をこの辺りで終了と致します。大変に有難うございました。



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