能「七騎落」のシテを仰せつかって
高 橋 春 雄
今回渡雲会の六十周年記念大会で、能「七騎落」のシテを舞わせていただくこととなった。私にとっては滅多に出来ることではないので、悔いの残らぬように勤めたいと念じている。
先生からお話をいただいて間もない八年八月、湯河原町にある城願寺を訪ね、シテ役の土肥次郎実平・子方の遠平その他多くの土肥一族の墓にお詣りして加護をお願いしてきた。
この寺は土肥一族の舘址の一部で、実平が再建して菩提寺とした寺といわれ、境内には実平手植え、樹齢八百年と云われるビャクシンの古木が茂っている。そのそばには「七騎堂」と称する立派なお堂があり、中には頼朝以下七騎の木像が安置されている。
また、湯河原駅前には「土肥氏舘址」の碑があり、傍らにはNHK大河ドラマ「草燃える」放映を記念して昭和五十六年に建てられたという「土肥実平夫妻の像」がある。実平は地元の豪族として頼朝の危急を救っただけでなく、鎌倉幕府草創に当たっては軍監等として多くの功績を残し、また領民にも敬愛されたという。
「七騎落」の舞台となったのは、湯河原から少し離れた真鶴町の岩海岸のようである。小田原から真鶴有料道路を真鶴に向かうと道路は海の上に出て右手に岩漁港が見えるが、この海岸こそ頼朝が船出した所である。浜には「源頼朝船出の浜碑」「源頼朝開帆処碑」が建っている。真鶴町にはこのほかにも、頼朝一行が一時隠れて難を逃れたという「鵐(しとど)の窟」や、実平が自分の舘が炎上しているのにも構わず、主君の無事を祝い再起を願って謡を謡い、舞を舞ったという「謡坂」や「謡坂の碑」があり、実平への思いを一層かき立ててくれる。
今回は岡崎の長嶋經治さん、頼朝の石川恭久さんはじめ大勢のKDDのメンバーが一緒に出演して下さるのも、私には何よりも嬉しく心強いことである。
今回の演能を機会に、頼朝はじめ、七騎の武将、和田義盛、その他関係する人達の事績や謡蹟について、『能「七騎落」とその周辺』として、コンパクトにまとめて見たいと念願している。 (平成八年九月記)
渡雲会65周年記念誌より (平成14年6月発行)
私 と 渡 雲 会
高 橋 春 雄
昭和39年入門。54年教授嘱託。練馬本部所属。
平成3年に能「田村」、平成9年に能「七騎落」を演ずる。
弥生会にも参加。
渡雲会65周年おめでとうございます。心からお喜び申し上げるとともに、実行委員の一人としてこの大会を成功させなければと心を引き締めております。
私は昭和39年、村本、秋元両先輩のおすすめにより渡雲会に入門させていただきました。
54年には教授嘱託にお取次ぎいただき、教授嘱託会に入会、会社が定年になってからはこの会の行事にも積極的に参加してまいりました。全国、東北、関東甲信越、東海、西日本等の大会や謡曲名所めぐり参加して日本各地を廻っているうちに、謡蹟めぐりが私の生き甲斐みたいになってしまいました。東京支部や本部の仕事のお手伝いもさせていただきましたが、その中でも謡曲名所めぐりを担当したことが一番印象に残っています。
渡雲会では「蝉丸」「夜討曽我」「絃上」「田村」等八曲ほど能に出演させていただきましたが、「七騎落」のシテを仰せつかったのは感激でした。シテ方のお役のうち、子方を除く七名が全部私と同じKDDの仲間で、地謡にも二名KDDの方がいます。これだけの顔ぶれで能が出来たということは私の謡人生最高の思い出であります。
現在、65周年記念大会に向け準備が進められていますが、何時も事務面で中心になってお世話いただいている八角幹事長が体調を崩され戸惑っています。現在のところ、実行委員一同でなんとかカバーし記念大会を成功させなければと頑張っていますが、八角さんが一日も早く回復され事務方の陣頭に立ってくれることを心から祈っております。
渡雲会70周年記念誌より (平成19年6月発行)
祝 辞
渡雲会幹事長 高 橋 春 雄
渡雲会七十周年と渡邊三郎先生卒寿記念の大会の開催を心からお慶びお祝い申し上げます。一代でこのような記念大会をなされた先生は恐らく今までなかったのではないでしょうか。渡雲会の一員として誇らしく思っております。
振り返ってみますと、私も渡雲会に入門以来四十数年を経過しております。嘱託免状をいただいたこと、「蝉丸」「夜討曽我」「絃上」「田村」「七騎落」等、能も八番ほど参加させていただいたこと、多くの先輩や同輩のことなど、懐かしく思い出されます。
最近のことでは、五年前の六十五周年記念大会の時、八角幹事長が体調を崩され急遽私が事務的な仕事を代行したことを思い出します。慣れぬこととて随分戸惑いましたが、実行委員の方々のご協力でなんとか無事に終えることが出来ました。
もう一つは昨年、先生の米寿を記念して「渡雲」なる記念写真集を作成したことです。この時も多くの方から原稿や写真を提供していただき、なんとか一冊にまとめ先生に贈呈するとともに、皆様にもお届けすることが出来ました。
現在はこの七十周年記念大会を成功させなければならぬと念願しながら、実行委員の方々のご協力を得ながら準備を進めているところでございます。
最後に先生のますますの御健康と、現在体調を崩されている奥様の一日も早い全快をお祈り致します。
渡雲会35周年記念誌 (昭和47.5)
渡雲会40周年記念誌 (昭和52.6)
渡雲会45周年記念誌 (昭和57.6)
渡雲会50周年記念誌 (昭和62.6)
渡雲会55周年記念誌 (平成4.1)
渡雲会60周年記念誌 (平成9.8)
渡雲会65周年記念誌 (平成14.6)
渡雲会70周年記念誌 (平成19.6)
「日々是好日」 −高橋春雄・私の履歴書−