昭和59年3月、KDDを定年退職させていただいた。戦時中若干の中断はあったが、電気通信一筋に45年間を悔いなくつとめることが出来て感慨無量である。
昭和14年4月、小学校卒業と同時に当時逓信省の所管だった東京の逓信講習所普通科に入学したのが縁で、同高等科、逓信官吏練習所、海軍予備学生教育部、戦後は一橋大学委託研修生とずうっと官費で勉強させていただき、郵政省、電気通信省、電電公社、KDDと所属した組織はいろいろ変わったが、45年間一貫して電気通信の仕事に従事できたのは幸せであった。
私が在職した時期、特に後半は、お役所から民間の会社になったこともあり、併せて海底ケーブル、衛星通信にはじまる電気通信の発展期に入ったため、会社も空前の発展を遂げ、私どもも楽しく働かせていただいた。KDDに移ってからは主に経理畑を歩かせてもらったが、特に太平洋ケーブル建設のための外資調達、KDD初の公募増資は、会社にとっては前例のない資金調達で、苦労も多かったがやり甲斐のある仕事で、私にとっては良き思い出となった。
また、定年を過ぎてからはぜん息に悩まされることになったが、定年までは健康状態も頗る良好、仕事を終えて同僚と美味しいお酒を心ゆくまで呑ませていただいたのも嬉しかった。
この長い期間、幸いに良き上司、先輩、同僚、後輩に恵まれたのも有難いことであった。特に増田元一、三輪正二、秋元亮一、村本脩三、高仲優の皆様には言葉で言い尽くせないほどのご指導をいただいた。村本・秋元の両氏からは仕事だけでなく、謡曲の手ほどきを受けたことも有難いことであった。謡曲の世界に踏み込んだことで定年後も退屈知らずで、現在私の生涯の楽しみとなっている。
定年にあたっては、私にとっての恩人増田社長名の感謝状と記念品を頂戴した。また、記念写真を撮っていただいたり、経理部の皆さんからは私の唯一の趣味の謡曲に何よりの「仕舞扇」と「扇の袋」を頂戴した。定年後ずっと大事に愛用させていただいている。
定年後はこれも上司のはからいで第二の職場「国際ケーブル・シップ株式会社」を用意していただいた。
本当に有難いことづくめの定年退職であった。
逓信に奉職四十五年間 悔いなく過ごすありがたきかな
幸いに上司、同僚、健康に 恵まれ過ごすありがたきかな
通信の成長の期にめぐり会う 運良かりしもありがたきかな
社長名増田元一の感謝状 頂戴できるありがたきかな
経理部の皆さんから頂きし 仕舞の扇ありがたきかな
定年退職記念 KDDビル前 (昭和59.3)
定年退職記念 経理部事務室 (昭和59.3)
定年退職 感謝状 (昭和59.3)
経理部一同の記念品 仕舞扇と袋 (昭和593)
「日々是好日」 −高橋春雄・私の履歴書−