私の履歴書28  謡曲10(「謡曲について」笑談会で語る) 平成12.3

NTTのOBの方で組織する「日比谷笑談会」という会があり、定期的に会合をひらきその際どなたかを招いて話をしてもらっているようである。その会に私がひっぱり出されて「謡」の話をすることとなった。

そのきっかけは笑談会の会員で、当時逓信同窓会(旧逓信省時代のOB会で私もその会員になっている)の会長をしておられた勝屋俊夫さんから声をかけられたからである。実は「官練時代」のところで触れたように、官練時代の同級生で記念誌「往時渺茫」をまとめた際、巻頭言を勝屋さんに書いていただこうと、同級生の広瀬正雄君と一緒に勝屋さんにお願いに上がったことがある。勝屋さんは快諾され私どものために「往時渺茫の発刊に寄せて」という素晴らしい巻頭言を書いて下さった。(「往時渺茫」参照)

そのようなご縁で平成12年、勝屋さんから話のあった時、お断りすることが出来なくて、非才をも顧みずお受けしてしまったのである。

このようなことは始めてのことなので、何を話したらよいか迷いに迷ったあげく、別に掲げるような謡曲に関する資料を準備して会場に臨んだ。

先ず自己紹介から始め、能・謡曲の予備知識として、能の歴史や、シテ方、ワキ方、囃子方、狂言方のこと、流派として、観世、宝生、金春、金剛、喜多の五流があることなど話してから、「高砂」の一節を皆さんに一緒に謡ってもらうこととした。

今では結婚式でも「高砂」を謡うことは珍しくなったが、かっては結婚式には欠かせぬもので、私も何回となく謡った経験がある。「高砂や、この浦船に帆をあげて・・」というところを皆さんに謡っていただいた。かって横浜の能楽堂で暮れの「第九」の向こうを張って年明けに360人の老若男女を集め「高砂や・・」を謡ったという新聞記事を思い出して真似してみたのである。

「高砂」合唱の後は私の舞った能の体験談や、謡蹟めぐりのこと、また謡仲間の二人の先輩の90歳、100歳を超えての活躍ぶりなどを紹介してなんとか責めを果たすことが出来た。


それから暫くして日比谷笑談会の世話役をしておられた岩渕鉄雄さんから、「日比谷同友会会報150号(平成12年7月号)」が届けられた。「第45回 日比谷笑談会」と題して当日の模様を紹介した記事が掲載されていた。大変良くまとめて下さっており、私にとっては忘れがたい思い出となったので紹介させていただく。



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