私の履歴書31   戦 友 会        昭和46年〜

海軍時代のこと、戦友会のことなどは、ホームページ「海軍の自分史」に詳細に記述しているので併せて参照願うこととし、ここではその概略を述べるにとどめる。


大きく分けて私は三つの戦友会に参加してきた。第一は旅順予備学生教育部で一緒に過ごした仲間で組織する「旅魂会」、第二は小豆島で終戦を迎えた特殊潜航艇艇長仲間の「蛟龍艇長17期会」、第三は旅魂会のメンバーで毎月第二水曜日に集まる「二水会」である。


終戦に伴いそれぞれの郷里に戻った私たちは、焦土の中で生きていくのに精一杯であったが世の中が落ち着いてくるに従って一部の熱心な方々のご努力のお陰で戦友会が発足するに至った。


戦後、第1回の旅魂会は昭和46年5月市ヶ谷会館で開催され、約150名が参加再会を喜び合った。その後何回か日を重ねまた何年かの歳月をかけて、600 頁に及ぶ膨大な「旅魂」なる文集を完成させてくれた。半ば忘れかけていた若き日の旅順での思い出が鮮やかによみがえってきた。

毎年会合を重ねてきたが、平成18年4月呉市森沢ホテルでの会合を最後にその幕を閉じた。ただその後も大川信男氏の奉仕により「旅魂会通信」が発行されており、私もそのお手伝いをさせてもらっている。


第二の「蛟龍艇長十七期会」桜井力君はじめ世話役の方々の努力のお陰で第一回会合が昭和60年9月に開催された。その後毎年小豆島で開催されてきた。まさしく生死を共にした仲間であり、特に私の場合同じ艇に乗ることとなった4名の部下のうち2名までが毎年参加してくれたのは感激である。

戦死した友を祀る忠魂碑の前で軍艦旗を掲揚し「海行かば」を斉唱する。海上慰霊祭、小豆島の札所詣り、かつて滞在した瀬戸内の島々の歴訪等、いろいろの行事を行ってきた。

小豆島会合の他にも、横須賀、舞鶴、佐世保、靖国神社の昇殿参拝等にも出かけた。「貴様と俺との青春賦」なる文集も作ってくれた。私も中尾英俊、井口豊明他の方々と「特攻艇長たち 次世代への遺言」なる本を作成、さんこう社から刊行した。

この会も会員の高齢化に伴って、平成16年9月の第20回会合をもって公式行事は一応の区切りとされた。しかし有志だけでも集まろうということで、その後も毎年何人か集まって慰霊の行事を行っており私も3年連続で参加している。


第三の「二水会」は、戦後「旅魂会」が開催された頃から、東京近辺の人達を中心に毎月第二水曜日に集まっている会合である。私も当初は何回か参加したのだが、仕事が忙しくまた喘息を患い酒を呑まなくなったこともあり暫く遠ざかっていた。

その後、平成15年5月横須賀で開催された旅魂会に出席した時、仲間たちに二水会が続いていることを教えてもらい参加を勧められて復帰した。以後毎月第二水曜日のお昼、定国ホテル隣の大和生命ビル26階エスカイヤクラブに通っている。現在も毎月20〜30名が集まり昼食を共にし談論風発、旧交を暖めている。



戦友会とは別に春の桜のころ、8月15日、12月8日等には出来るだけ靖国神社にも出かけることにしている。靖国神社の遊就館には私たちの先輩、開戦当初真珠湾に進入した特殊潜航艇の九軍神の遺影や潜航艇の模型等が陳列されており、拝観するたびに胸に熱いものがこみあげてくる。



倉橋島大浦崎  このあたり潜航艇の建造所 毎日通い学びしところ

倉橋島大迫   島の端突撃隊の宿舎あと 工廠までは機動艇にて

鳴門海峡    この鳴門潜航艇にて乗り切りて 目指す南岸出撃の基地

柳井潜水学校跡 星霜のあとにたたずみ声もなし 改めて知る時の流れを



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