資料   逓信官吏練習所同級生文集「往時渺茫」より  平成11年1月発行

          「往時渺茫」発刊のことば

                         高 橋 春 雄 


 私たちが昭和19年9月、逓信官吏練習所第二部行政科を卒業してから早くも54年余の歳月が流れ去った。


 在学中は大東亜戦争の真っ最中、卒業も半年繰り上げられ、級友の大半は自ら志願しあるいは召集されて、まさに身を挺して国土防衛の最前線に立った。


 戦後の価値観の転換・食糧難に苦しみながら苦闘、日本の繁栄と技術革新、結婚・子供の誕生、第一線からの引退、病気・・様々の思いを残して時は流れた。そして卒業の時約100名いた級友も、三分の一が黄泉に旅立ってしまった。


 過ぎこし方を顧みれば、白楽天の詩「往事渺茫(おうじびょうぼう)として都(すべ)て夢に似たり。旧友零落(れいらく)して半ば泉に帰す」が実感として迫ってくる。


 人類がかって経験したことのない激動の時代を生き抜いて来た私たちには、それぞれの思いがぎっしりと詰まっている筈である。そんな思いの一端を級友に書き綴ってもらいたいと洩らしたのがこの文集作成のきっかけとなった。


 皆さんの賛同を得られたのは嬉しかったが、「発刊のことば」を書かされる羽目になるとは思いもよらなかった。永年クラス会の運営に尽くされた村上、古田島、斎藤の皆さんが適任の筈なのに・・・


 編集委員にはワープロの出来る方が中心に選ばれた。企画、編集、校正等全般に亘ってお骨折りをいただいたのは勿論、昔、電鍵でトンツーを叩いたその手で、ワープロを叩き、集まった原稿を浄書していただいた。また、自分のワープロで原稿を作成してくれた者もある。これらをそのまま版下として出来上がったのがこの文集である。文字の配列など若干不揃いの点もあるが、かえって手作りの味が出てよかったのではと自画自賛している。


 当初予想したよりはるかに多くの、殆ど全員の方から読みごたえのある原稿やアンケートが寄せられ、そのうえ、逓信同窓会会長の勝屋様から身に余るお言葉を頂戴し、錦上に花を添えていただいたのは感激であった。この文集が私たちの旧交をあたためるきっかけとなってくれれば幸いである。


      平成11年1月吉日

(平成11年1月発行 逓信官吏練習所同級生文集 「往時渺茫」 より)




      「往時渺茫」の発刊に寄せて

                    逓信同窓会会長  勝屋 俊夫


 まず、官練二行22期の皆さま方の記念文集「往時渺茫」の発刊を、心からお祝い申し上げます。同時に、この文集作りを中心になって推進された高橋春雄様初め、編集委員諸氏のご尽力、そしてこれを一致して支えられた同期生各位に、敬意と感謝を捧げたいと存じます。


 実は、今年(平成十年)の十月三日、同窓会中央全国大会の懇親パ―テイで阿南先輩から、このようなものを作りつつあるとのお話を伺い、お待ちしていたところ、十一月十一日、広瀬先輩がわざわざお越しいただき、文集のワープロ原稿を拝見し、その経緯、内容などについて、いろいろポイントをついたご説明をいただきました。それから数日、この力作を読ませていただき、いたく感激し、感動いたしました。


 以下に、私なりの読後感を申し述べ、祝辞に代えたいと思います。


 第一に、申し上げたいのは、私自身も、最近、同じ体験をしたということです。私の方は、旧制中学の卒業五○周年記念文集ということですが、このような文集作りの難しさ、そしてそれを完成させたときの喜びとともに、制作過程で結果的に同期生の友情が深まるという大きな副産物もありました。このような経験から、皆様方の成し遂げられたことの偉大さがよく実感されます。


 第二に、皆様方と同じく戦時中の学校生活ということです。私どもは昭和十七年四月入学で、それからの数年間の生活を文集のテーマとしました。ここで、敢えて「数年間」としたのは、私どもも、軍関係の学校へも進学、疎開、病気療養、さらに戦後の学生改革(改悪というべきでしょうか?)により、四年で卒業したり、新制高校に移り六年も在学したりという訳で、在校年数がばらばらだったからです。ただ、私どもには、皆様のような従軍経験こそありませんが、戦中、戦後に青春の大部分を過ごしました。これを、ぜひ自分の文章で残したいというのも、記念文集制作の一つの動機であり、「往時渺茫」も、同じく戦争という激変を皆様方が乗り越えて、現在を築き上げられるまでの体験記であり、後世に伝えるべき貴重な記録となっています。


 第三に、この文集が最後の「官練」卒業生の手になるものだということです。母校の歴史は、明治以来、連綿と続いたとはいうものの、なんといっても、その中心は「官練」の名が冠せられていた当時であると思います。私どもは、戦後初めての入試に応募したわけですが、それも、戦前の受験界に名だたる「官練」の名前に憧れた面があったことは否定できません。しかし、実際に入学したのは「高逓」であり、それも在学中に廃校の憂き目に遇ったのです。いずれにしろ、この文集には「官練」卒業生でなければ書けない思いが籠められており、皆様が打ち立てられた「官練」の最後を飾る金字塔です。


 第四に、寄稿された方の多さです。私どもの文集では、九十一編の原稿が集まりましたが、それは全員の六十パーセント余に過ぎませんでした。これに対して、皆様方の文集には、ほぼすべての同期生の原稿が集められています。その上、アンケートに対する回答も示されています。ここまでもってこられたご苦労は並大抵ではなかったでしょうし、また、それは同期生の結束が強かったからこそ実現したものだと思います。


 第五に、感銘したのは、編集の見事さです。巻頭に思い出の写真を並べ、次に寄稿文を五十音順に配列し、最後に資料編という体系は、図らずも、私どもの文集と同じです。そして、資料編に力を入れられたのも、全く同様ですが、特に驚いたのは、入学試験・進級試験・卒業試験などの問題が収録されていた点です。さらに、年表もよく纏められていますし、同窓会誌から追悼文などを転載していただきました。これらのアイデアをだされたのもさることながらそれを現実のものとするには、編集委員の方々の大変なご努力があったことは間違いありません。この資料編だけでも、この文集を作られた価値があります。私も、折りにふれて活用させていただくことをお許しいただきたいと思います。


 また、自分たちのワープロ原稿をそのまま版下にするという手法も、全く同じです。コストなどを考えると、結局は同様の手段をとることになった訳で、こうした点も、この文集に親近感を覚える所以です。


 このほかにも、いろいろ申し上げたいことは多々あります。例えば、吾妻先生、田上穣治先生、松本先生などのこと、あるいは高橋直服先生のことなど、同じ思い出を共有していることがあります。また、長らくお付き合いしている方にも、こんな一面がおありかということが初めてわかったこともあります。さらに、資料編に収録されている吉丸・古田島両先輩の追悼文から、武藤俊郎さんが、九州の久住山で遭難されたことを知りました。九州で電電公社の幕引きをした私にとって、このルートはよく知っているつもりのところ、そこで三十年ほど前の五月初めにこんな事故があったとは、まことに感慨を禁じ得ませんでした。自然の恐ろしさ、人生の虚しさを改めて感じた次第です。


 最近は、あまり明るいニュースにお目にかかれませんが、皆様方のこの文集刊行は、同窓会にとっても、稀にみる快挙であると存じます。大正から昭和、平成と三代を生き抜いてこられた皆様、二十世紀もあと僅かになりましたが、どうか来るべき新しい世紀にも、お元気で、益々「老人力」を発揮され、私ども後輩をいつまでもご指導、ご鞭撻下さるようお願いして、つたない祝辞の結びといたします。



    高橋直服先生への手紙(私の余技)

                          高 橋 春 雄

(まえがき)

 高橋直服(なおこと)先生は官練時代の私たちの担任教官である。卒業後すっかりご無沙汰していたが、「逓信同窓会誌」の平成7年7月号で、先生の著書「宝暦治水薩摩義子顕彰百年史」のことが紹介され、さらに「ペンがきクラス会」で先生の記事を見て懐かしさのあまり、7月9日お手紙を差し上げた。


 その後、先生の「百年史出版記念祝賀会」が、9月6日、飯田橋会館で、開催される旨の案内をいただいたので、これに出席、先生の著書を頂戴したうえ、短い時間ながらも50年ぶりに先生と懇談する機会を得た。先生の教え子たちが50数名集まり先生もたいへん嬉しそうであった。先生は大正15年一行を卒業されているので、この時でも90歳くらいの年齢ではなかったかと思うが、立派な挨拶をされているのには敬服した。


 この時から早くも3年が経過した。今回官練同級生の文集作成にあたり何を書こうか思案していたが、たまたま同窓会誌を見ている時に直服先生あてに書いた手紙のことを思い出し、パソコンから取り出してみた。時間も経過しているし、内容についても再検討しようかとも思ったが、かえって原文のままのほうが先生に対する気持ちが出ていると思い、冗長の嫌いはあるが原文のまま紹介することとした。




(先生あての手紙)

拝啓  突然のお手紙を差し上げる失礼をお許しください。私は先生から教えていただいた一人、昭和19年8月、官練2行22期の卒業生、高橋春雄でございます。

 先日帰宅すると、「逓信同窓会誌」7月号が届いており、パラパラとページを繰ると、今井市郎さんが書かれた、先生の新刊紹介の記事が目にとまりました。さらに「ペンがきクラス会」の欄で先生ご自身の文を拝見、なつかしさのあまりペンをとりました。


 在学中、学科に関する先生の講義の内容は殆ど覚えておりませんが、「余技」という言葉だけははっきりと覚えております。そしてこのお言葉によって、謡曲その他に関心をもつことができたように思いますし、そのおかげで定年後の今も充実した毎日を送ることが出来るのだと感謝しております。

 そして、今回改めて感激したことは、先生が私どもに教えたことを自ら実践、まさに「本来の仕事のほかに、日本中で誰もやらないテーマを決めて、一生をかけて研究完成」させ、自ら範を示されたことでございます。


 官練を卒業後すぐに海軍に入り、復員後もどさくさに紛れてすっかりご無沙汰しているうちに50年余りが経過してしまいました。ご無沙汰のおわびにその後の私のたどった概略を記してみます。


 昭19.09 海軍予備生徒として大竹海兵団に入団、旅順で基礎訓練を受ける

 〃20.02 特攻隊志願、特殊潜航艇艇長講習員として訓練中、小豆島で終戦。復員

 〃20.10 東京中央電信局外信課に勤務

 〃28.04 国際電信電話(株)に移籍

 〃29.04 謡曲(宝生流)サークル参加

 〃37〜39ニューヨーク事務所勤務

 〃39.07   宝生流謡曲職分 渡邊三郎先生(人間国宝)に師事、現在に至る

 〃54.03 教授嘱託免状受領(謡曲指導を許される)。翌年教授嘱託会入会

 〃59.03  国際電信電話(株)定年退職(経理部長)

 〃63.05   国際ケーブルシップ(株)定年退職(取締役経理部長)

 平4.6〜8 教授嘱託会東京支部副支部長、本部理事 東京支部の会計を担当


 仕事から離れてから早くも七年になりますが、現在の私は家内と二人暮らし、余技といえるかどうか分かりませんが、「謡曲」と「クルマ」と「パソコン」のおかげで充実した毎日を送っております。

 謡曲の関係では、会社の謡曲サークル、師事している渡邊三郎先生の会、宝生流教授嘱託会の会など数多くの会に顔を出して、教えていただいたり、教えたり、一緒に謡ったり、舞ったり、鑑賞したりしています。能も水道橋の宝生能楽堂で「紅葉狩」「草紙洗」「蝉丸」「土蜘」「夜討曽我」「師長」「田村」等、何番か出演させていただきました。

 謡蹟めぐりも楽しいものです。昭和56年「夜討曽我」の能をやることが決まったとき、富士山麓の曽我兄弟の墓にお参りしたのがきっかけで、その後日本全国をあちこちと歩き廻っております。特に京都、奈良、鎌倉、平泉などは謡蹟の宝庫で、貸自転車で家内とこまめに走り廻りました。教授嘱託会でも毎年謡曲名所めぐりということで、大型バス2台、2泊3日の旅行を行っておりますが、その企画、下見、案内なども担当しております。

 

 定年を機に始めた車の運転も謡蹟めぐりに役立っております。西国、秩父、坂東の札所めぐりのうち、秩父と坂東は殆んど車を使いましたが、これが一段落した今は、もっぱら関東周辺の謡蹟めぐりに活躍してくれています。


 在職中に習い始めたパソコンが、予期した以上にいろいろの分野で活躍してくれています。富士通のワープロ、NECのパソコンを経て、平成4年暮れにマッキントッシュに乗り換えましたが、性能も飛躍的に向上し重宝しています。教授嘱託会の280名ほどの会員の名簿や資料、案内、会計報告、宛名シールの作成等に大活躍で、会員の皆さんにも喜んでもらっていますし、渡邊三郎先生の会や、関係している郷土会のいろいろな資料作りにも役に立っております。

 手書きではとてもやる気になれないことでも、パソコンに向かうと、少しも億劫でないのが不思議です。仕事から解放されたのと、喘息その他で2年間に6回も入退院を繰り返したためお酒を断ったのとで、時間的にだいぶ余裕ができましたので、パソコンを利用していろいろのものをまとめ、本の体裁にすることに興味をもちはじめました。直服先生のご労作に比べると、あまりに貧弱で恥ずかしいのですが、その一部を列挙してみます。

 

○ 母の米寿記念誌 (昭和63年10月)

 親戚の方々に母の思い出と揮毫を書いていただき、一家の想い出の写真60頁を添え、B5版約200頁の本にして親戚の方々にお配りしました。

○ 祖父の遺墨集 (平成元年8月)

 祖父の遺した漢詩、和歌、郷里の風景詩などの遺墨が私の手許にかなり残っていましたので、これをまとめ、難しいものには、読み方、解釈などをつけ、A5版220頁にまとめ親戚の方々にお配りしました。 

○ 郷土会会報記念号 (平成3年6月) 

 郷里新潟県小出町出身の東京在住者で組織する東京小出会の、会報「東京と小出郷」(年2回刊行)の編集のお手伝いをしていますが、平成3年の「創立30周年記念号」のときは、94名の方から原稿をいただき、340点集った写真を87点にしぼり、A5版約200頁にまとめ、会員の方にお配りしました。

○ 先生の会の番組記録 (平成4年5月)

 先生の会の55周年記念として、会合開催一覧や、能・舞囃子・仕舞・謡の番組を年月順、個人別、曲目別などに整理した表を、B5版120頁にまとめ、会員の方にお配りしました。

○ 謡曲の先輩秋元亮一氏の追想録 (平成4年9月) 

 87名の方から原稿を頂戴し、写真、経歴、遺された記録等を添え、A5版300頁にまとめ関係者にお配りしました。

○ 教授嘱託会東京支部の記録 (平成5年9月)(さらに継続中) 

 この会に入会したのが昭和55年、この会が発足したのが昭和30年です。まとまった支部の記録がなかったので、まとめてみようと思い立ち、手許の資料でB5版120頁にまとめ、検討資料として、ごく一部の方にお配りしました。

 その後、さらに古い資料入手の目安もたったので、より充実したものにまとめたいと思って取り組んでおります。

○ KDD謡曲合同サークルの記念誌 (平成7年2月) 

 KDDには観世流、宝生流あわせて五つの謡曲サークルがあり、その合同の謡会(末広会)は30数年にわたって活動を続けてきましたが、観世のサークルに現役がいなくなってしまい、本年2月、残念ながら解散することとなりました。末広会の歴史を記録に留めたいと思い、番組の記録や写真とともに、37名の方から思い出の原稿をいただき、B5版140頁にまとめ、会員の方にお配りしました。

○ 謡曲の自分史 (一部平成7年3月)(継続中) 

 宝生流の謡曲には180曲ありますが、そのうちの一般的な曲100曲程度について、自分が謡ったり(謡)、舞ったり(舞)、能や舞を観たり(観)、謡蹟を巡ったり(巡)した思いを綴る、謡曲の自分史を「謡舞観巡」と名づけ、舞台や自分で撮った謡蹟の写真を添えてまとめてみたいと思っております。昨年1年かかって、24曲分をB5版170頁にまとめてみました。

 あと4、5年かけてまとまったら、業者に依頼、本格的に印刷してもらいたいと思っていますが、いつのことになるやら・・


 以上、恥ずかしいものを並べてみましたが、こんなものでもまとめようとすると、資料を調べたり、実地を確かめたりで、時間と労力がかかります。しかし、これもまた楽しみの一つでございます。

 このように定年後の生活を退屈するどころか、楽しく送れるのも、ひとえに直服先生のご指導のおかげと感謝しております。

 先生にはますますご健康でご活躍されることを念願しております。 敬具

   平成七年七月九日             

                        高 橋 春 雄

 高 橋 直 服 先 生



(あとがき)

 この手紙を出した直後先生から「本当によかった! あなたを特攻で失わなくて!! 益々誉技のご発展を祈っております」と書かれたお手紙と、原稿用紙6枚にわたる「信州の鎌倉(8)」と題するブナの原生林を称える論文を頂戴しました。

 「出版記念祝賀会」に出席した後にも、先生から「信州の鎌倉(6)」―野尻湖に関する論文―をわざわざ送ってこられた。拝読して、歳を重ねての先生の精力的なご活躍に脱帽し、少しでもあやかりたいと願うのみである。




    (平成11年1月発行 逓信官吏練習所同級生文集 「往時渺茫」 より)


              編 集 後 記


 編集委員として何か書くように言われましたが、実は当惑している。正直、高橋君が企画、発送、督促、ワープロまで殆ど一手に引き受けてやってくれた。本当に彼なしには、この文集は誕生しなかったと思う。

 「高橋君、どうもありがとう」と先ず書きたい。


 さて、編集委員として先に読ませてもらったが、全く感動の連続でした。「僕の戦中、戦後」とも言うべき文章が赤裸々につづられています。しかも顔も知っている友人です。涙なしには読めない箇所もありました。また「よい時期に企画してくれた」という言葉も何人かに聞かされました。故人も追悼文などで参加してくれました。


 また逓信同窓会長の勝屋さんから、素晴らしい祝辞を戴きました。会長も僕らと同じ世代の人です。最近、ご自身も文集の編集に携わった経験から共感されて、喜んで読んでくださり祝辞を書いてくださいました。


 皆さんのお陰で、よい文集が完成しました。大切に座右に置き、何回も読み返したい本になると思います。皆さんどうもありがとう

 お互い老境に入ったが、いつまでも元気でね  さようなら     (広瀬)


                     編 集 委 員 

                             阿 南 定 一                  

                             阿 部   研

                             大 矢   実

                             古田島 正 男

                             斎 藤 一 雄

                             高 橋 春 雄

                             広 瀬 正 雄



主な内容

 発刊の言葉

 「往時渺茫」の発刊に寄せて

 写  真  33枚

 文  集  56名

 資  料  逓信官吏練習所所歌  日課表と教官・講師名  入学試験問題・進級
        試験問題・卒業試験問題  官練時代の記録抜粋 年表
        逓信同窓会誌抜粋(追悼文)  全国クラス会開催記録  

        アンケート調査  卒業生名簿  物故者名簿

 編集経過報告  編集後記

 B5判 200頁 平成11年1月刊行

官練二行22期生文集 「往時渺茫」 平成11年1月
官練二行22期生文集 「往時渺茫」 平成11年1月



次に進む: 逓信官吏練習所関係試験問題

  前に戻る: 小学校同窓誌「若鮎」(男児立志出郷関)
  「はじめに」に戻る

私の履歴書

「日々是好日」 −高橋春雄・私の履歴書−