資料   祖父 桜井彦七 「遺墨集」 より

           ま え が き

 昨年、母シゲノの「米寿記念誌」を作成するにあたって、子供、孫、親戚の方々に一筆お願い申し上げ、皆さんから素晴らしい作品を沢山頂戴いたしましたが、それと一緒に彦七じいさんの筆跡も是非加えてみたいと思い、久しぶりに祖父の「書」に目を通し、その中の二つだけを掲載させていただきました。

 また、このほど桜井強さんが「彦七トクの法事に集まって」と題する本をまとめる過程で、その原稿を拝読させていただき、ますます彦七じいさんの「書」に対する関心が高くなってまいりました。

 私の手許には、「青島八景」「いろは風土記」「津弥つねし美知」「筆にまかせて」と題名のついた四冊と、色紙類十数枚の祖父の書がございます。

 今回、これらを全部熟読いたしましたが、郷土のことを青島八景や、いろは風土記として書き残したり、有名な漢詩や和歌や人生訓、さらには酒のこと、謡曲のことなど幅広く書かれております。

 読んでいるうちに、この貴重な遺墨を私が一人占めにしておくのは申し訳ない、これを複写して、出来ればなんとか読みと解釈もつけて、親戚の方々にも見ていただきたいと思い立ち、早速作業を開始いたしました。

 しかし、彦七じいさんの書は変体仮名まじりの行書で書かれてありますので、私にはなかなか読めません。どうしても読めないところは「?」をつけて兜を脱いでしまいましたし、誤った読み方をしているところも多いことと思います。

 まして解釈となると参考書や人さまに頼るほかありません。本を買ってきたり、図書館で調べたり、教えていただいたり、自分なりに努力はしてみましたが、解明できないのはこれもそのままにしてあります。このように、読みも解釈も不完全でございますが、ご了承願うとともに皆さまのご教示をお願いします。

 さてこの本の作成に当って多くの方々からご協力をいただきました。改めて厚くお礼申しあげます。

 特に私が読みや解釈で苦心惨憺している折、思いがけないキッカケで、漢詩に造詣深い、市村譽虎(信山)さんというお医者さんを紹介していただき、この方に種々ご教示いただけたのは大変有難く、感激でした。詳細は「青島八景」の「あとがき」に記しておきました。

 また、彦七じいさんの長男で、八十二歳の現在もお元気に、父祖伝来の地で農事に励んでおられる、桜井正さんには序文をお願いしましたところ、その任にあらずと固辞されておりましたが、無理にお願いして、「あとがき」にということで、一文を頂戴いたしました。農繁期でお忙しいのにお願いをきいていただき、大変有難く感謝している次第です。お叱りを受けるとは思いましたが、私の独断で巻頭を飾らせていただきました。

 彦七じいさんの四男で相模原市にお住まいの、桜井強さんにも随分御世話になりました。私の計画についても深い理解を示され、何かと助言をいただいたほか、数回にわたって原稿を見ていただき、多くの箇所についてご教示いただき、ひとかたならぬご好意、ご指導に厚くお礼申しあげます。

 この本は活字にかえ、私がワープロで叩いたものをそのまま使いましたので、多少見にくいことと思いますが、制作については、東京小出会で日頃お世話になっている、東洋プリントKKの那須美夫社長さんにお願いし、このように立派な本にしていただきました。

 多勢の方々のご厚意とご協力に支えられて、彦七じいさんが亡くなられてから二十六年余を経て、なんとか私の手許にある祖父の遺墨の全部を収録することができました。私の敬愛する彦七じいさまと連日対話をしているような、また、こんなものが読めないのかとハッパをかけられているような、自分の無力を感じつつも楽しい日々でございました。

 この本がキッカケになって、眠っている彦七じさまの「書」がもっと沢山日の目を見ることになれば幸いです。


       平成元年七月吉日   

                 彦七孫  高 橋 春 雄



    (青島八景のあとがき)


           漢詩の読みと解釈について


 この「青島八景」に書かれた漢詩の解釈については、思いがけないキッカケで紹介いただいた市村譽虎さんという早稲田に住むお医者さんで漢詩に造詣深い方にご教示いただいたものです。

 そのキッカケというのは、私が祖父彦七じいさんの書を複写するため、自宅近くの「中田書店」という所で、コピーをとっておりましたところ、その店のご主人が通りかかって「なかなか素晴らしい字ですね。」と声をかけてくださった。

 「私の祖父の形見のようなもので、自分で独り占めにしておくのはもったいないので、複写して祖父の子供さんたちにさしあげたいと思っているのです。どうせ差上げるなら「読み」や「解釈」もつけたいと思うのですが、なにかよい参考書はお宅にありませんか。」

 「参考書はいま置いてありませんが、私の戦友で漢詩に詳しい方がいますから、よかったら紹介しましょう。」

 「是非、お願いします。」

ということでご紹介いただいた訳です。

 先生に、複写した祖父の「書」四冊と、それまでに参考書を頼りに、自分で解明した分を添えてお送りし、添削いただいた訳です。

 「青島八景」のほうは参考書もないので、諦めて手もつけずにおいたのですが、ちゃんと解明していただきました。他の三册にある漢詩についても、多くの点についてご教示をいただきました。

 ここに記して感謝の意を表したいと存じます。


 なお、先生の作られた漢詩で、私が大変感銘を受けたものがありますので、ご披露させていただきます。先生には祖父の書について、種々ご教示をいただくと同時に、自作八篇が掲載されている、同人誌を贈っていただきました。その中で特に感銘を受けたのが次の一篇です。


      読サムエル・ウルマン氏青春之賦

  因 重 歳 月 人 非 老   失 理 想 時 初 老 臻

  賦 使 衰 残 長 奮 起   吟 餘 一 夜 夢 青 春


   歳月を重ぬるに因って、人は老ゆるに非ず

   理想を失ふ時、初めて老いは 臻(いた)る

   賦は衰残をして、長(とこし)へに奮起せしむ

   吟餘(ぎんよ)一夜、青春を夢む


 長男に示すと、この詩に関する本を既に購入していました。借用して一気に読むとともに、もう一冊別の本をみつけました。数ある訳の中から岡田義夫氏の訳(省略)を掲げてみますが、先生の漢詩には漢詩ならではの迫力があり、座右の銘にしたいと思っております。




世のうさを忘るるための酒なれば

    呑んで暮らすも一升(生)の徳

世の中を紫磨黄金と聞くなれば

    酒無き国を何二升(なにしょう)ぞや

雨風の夜にても何の厭ひなく

    酒ときくなら急ぎ三升(参上)

世の中は教えなくては叶ふまじ

    酒ばかりには四升(師匠)入るまじ

強えられて持て余したる無理酒を

    一つすけるも五升(後生)なりけれ

浮世をば何の苦もなく渡らんと

    ほどよく飲むでおもし六(面白く)升

身の程をわきまえて呑む酒なれば

    七升買の勘当もなし

陶淵明李白のように酒飲むで

    末の代までの名をば八升(はせよう)

酒呑んで怒らず泣かず賑はしき

    笑ふ上戸を冨九(福)升といふ

長命の薬ともなる酒なれば

    呑んで楽しめ世間一斗(一同)




七六(なむ)安身だ(あみだ)さま たのみます

すぎれば一年 其(その)次は

わしも喜の字の 年となりゃ

やがて八十路に 米の歳

しあわせつづき これはまあ

あなたまかせの からさいふ

夫婦は三夫婦 楽隠居

今日よりよろしく あむあみだ

  丙申元旦(昭和三一彦七 七六歳) 栽楽

世のうさを忘るるための酒なれば
世のうさを忘るるための酒なれば

    呑んで暮らすも一升(生)の徳

世の中を紫磨黄金と聞くなれば

    酒無き国を何二升(なにしょう)ぞや

雨風の夜にても何の厭ひなく

    酒ときくなら急ぎ三升(参上)

世の中は教えなくては叶ふまじ

    酒ばかりには四升(師匠)入るまじ

強えられて持て余したる無理酒を

    一つすけるも五升(後生)なりけれ

浮世をば何の苦もなく渡らんと

    ほどよく飲むでおもし六(面白く)升

身の程をわきまえて呑む酒なれば

    七升買の勘当もなし

陶淵明李白のように酒飲むで

    末の代までの名をば八升(はせよう)

酒呑んで怒らず泣かず賑はしき

    笑ふ上戸を冨九(福)升といふ

長命の薬ともなる酒なれば

    呑んで楽しめ世間一斗(一同)

世のうさを忘るるための酒なれば

    呑んで暮らすも一升(生)の徳

世の中を紫磨黄金と聞くなれば

    酒無き国を何二升(なにしょう)ぞや

雨風の夜にても何の厭ひなく

    酒ときくなら急ぎ三升(参上)

世の中は教えなくては叶ふまじ

    酒ばかりには四升(師匠)入るまじ

強えられて持て余したる無理酒を

    一つすけるも五升(後生)なりけれ

浮世をば何の苦もなく渡らんと

    ほどよく飲むでおもし六(面白く)升

身の程をわきまえて呑む酒なれば

    七升買の勘当もなし

陶淵明李白のように酒飲むで

    末の代までの名をば八升(はせよう)

酒呑んで怒らず泣かず賑はしき

    笑ふ上戸を冨九(福)升といふ

長命の薬ともなる酒なれば

    呑んで楽しめ世間一斗(一同)




七六(なむ)安身だ(あみだ)さま たのみます
七六(なむ)安身だ(あみだ)さま たのみます

すぎれば一年 其(その)次は

わしも喜の字の 年となりゃ

やがて八十路に 米の歳

しあわせつづき これはまあ

あなたまかせの からさいふ

夫婦は三夫婦 楽隠居

今日よりよろしく あむあみだ

  丙申元旦(昭和三一彦七 七六歳) 栽楽

七六(なむ)安身だ(あみだ)さま たのみます

すぎれば一年 其(その)次は

わしも喜の字の 年となりゃ

やがて八十路に 米の歳

しあわせつづき これはまあ

あなたまかせの からさいふ

夫婦は三夫婦 楽隠居

今日よりよろしく あむあみだ

  丙申元旦(昭和三一彦七 七六歳) 栽楽

桜井彦七 遺墨集 平成元年8月 A5判 220頁
桜井彦七 遺墨集 平成元年8月 A5判 220頁



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