私の履歴書22  謡曲4(教授嘱託会―行事参加)   昭和59〜

昭和54年教授嘱託の免状をいただき教授嘱託会に入会させていただいたが、現役時代で仕事の方が忙しく会の行事に参加する余裕はなかった。

KDDを昭和59年定年退職し第二の職場に移ってからは若干時間の余裕も出来てきたので先ず囃子謡研究会に入会させていただいた。月に1回、宝生能楽堂の隣りにあるこんぴら会館で、講義を受け、東京支部大会で舞囃子を舞ったり、地謡を謡うのである。金井章、武田喜永、宝生英照、佐野萌、近藤乾之助、高橋章、寺井良雄という宝生流を代表する諸先生に教わり、平成5年の支部大会では舞囃子「猩々」を舞わせていただいた。

次いで素謡会にも入会した。この会は月に1回、千駄ヶ谷の鳩森神社に集まり、決められた役で5曲を謡うのである。他の先生のお弟子さんたちと一緒に謡う機会を得て大変刺激を受けた。

そのほか会の行事として、東京支部大会、関東甲信越大会、東北大会、全国大会、東海連合大会、中四国大会にも積極的に参加するようになった。関東や東北各地、北海道、静岡、名古屋、富山、和倉温泉の加賀屋、松江、松山、福岡の大濠公園能楽堂等数々の大会や観光、謡友との交流が懐かしく思い出される。

素謡会のお手伝いなどしているうちに、平成4年東京支部長の秋元さんが病に倒れ、東京支部の会計を担当することとなり、これをきっかけに東京支部の副支部長、本部理事、本部副理事長まで仰せつかって、支部の会計に続き、本部の会計、謡曲名所めぐりまで受け持つ羽目になってしまった。

毎月のように行事があり雑用も多かったが、大谷理事長の適切なご指導を得て楽しく過ごさせていただいた。各地の大会では理事長が仕舞を舞われるので、私どもがその地謡を仰せつかった。暗記するのはきつかったが「半蔀」「班女」「阿漕」「藤戸」「実盛」「井筒」等々、良い機会を与えてもらったと感謝している。

平成9年、教授嘱託会の素晴らしい行事の記録を残すことが必要と考え、「東京支部40余年のあゆみ」の編集を企画した。簡単ではなかったが特に東京支部長だった高橋亘氏のご支援を得て完成、関係者にお届けできたのも良い思い出である。

その後平成17年12月には、東京支部50周年を記念して、「東京支部50年のあゆみ」が作成され、私も顧問という形で資料作成に参加させていただいた。念願の会の記録が素晴らしい形で残されたのが何よりも嬉しい。

教授嘱託会のお手伝いが出来たのは、私にとって光栄の極みであったが、自分の能力と体調を考えて、平成10年には本部の、11年には支部の役職からはずさせていただいた。 

しかし、現在も体調の許す限り、嘱託会の行事には参加させてもらっており、平成13年8月には座談会「教授嘱託会の来し方−行く方」にも参加させていただいた。

平成15年11月には、謡舞観巡の別冊3として「教授嘱託会二十五年回顧」を作成して、自分自身の嘱託会における足跡をたどってみた。

また平成8年6月の全国大会では、教授嘱託会表彰を受領し、さらに平成16年には全国大会精勤賞、18年には謡曲名所めぐり精勤賞、19年には夏期講座精勤賞を受賞したのは望外の喜びである。

全国(名古屋)大会初参加 (昭和61.8)<br />  「雨月」 ワキ 国枝貞子 シテ 高橋春雄
全国(名古屋)大会初参加 (昭和61.8)
  「雨月」 ワキ 国枝貞子 シテ 高橋春雄

全国(名古屋)大会 (平成10.8)<br />  左より大谷龍祐理事長、辰村直治(東京支部長、故人)、小林秀夫(副理事長、後理事長)、高橋春雄、菅原誠之助(副理事長、後理事長)の皆さん
全国(名古屋)大会 (平成10.8)
  左より大谷龍祐理事長、辰村直治(東京支部長、故人)、小林秀夫(副理事長、後理事長)、高橋春雄、菅原誠之助(副理事長、後理事長)の皆さん

第28回囃子謡研究会 こんぴら会館 (平成12.9)
第28回囃子謡研究会 こんぴら会館 (平成12.9)

第38回夏期講座 宝生能楽堂 (平成11.7)
第38回夏期講座 宝生能楽堂 (平成11.7)

東京支部 素謡会 鳩森神社 (平成10.4)
東京支部 素謡会 鳩森神社 (平成10.4)

全国(札幌)大会 東京支部「田村」 定山渓ビューホテル (平成8.8)
全国(札幌)大会 東京支部「田村」 定山渓ビューホテル (平成8.8)



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