資料   NY時代の交換書信集より     平成17年4月

          ま え が き



 平成15年の暮れの頃、家の中を整理していたら私がニューヨーク事務所に勤めている頃、私が家内に送った手紙、家内が私に送った手紙の束が見付かった。 40年以上も前の代物である。拾い読みしていると当時のことがついこの間のように思い出されて懐かしい。このまま紙屑として処分するのは勿体ないと、家内と相談して時間をかけてもよいから、とりあえずパソコンに入力してみようということになり、それぞれ自分の分を分担して入力を続けてきた。


 それから一年以上をかけてこのほどようやく全部入力することが出来たが、かなり膨大な量になった。このまま1部だけ製本して残そうかとも思ったが、当時の手紙の中に私が、「我が家の家宝として製本でもして子々孫々に伝えなければ」と書いているのに刺激され、少なくとも、自分用、明美用、栄一用の3部は作らなければと思い立った次第である。


 少なくとも家内の手紙の主要な部分は明美の育児の記録である。明美には自分の赤ちゃんの時のことが詳細に記録されているので是非読んで欲しいと思う。また、明美と直子さんには現在子育ての真っ最中であり、大変な苦労だと思うが、家内が一番手のかかる時期に一人で苦闘した記録を読んでいただき、ご主人が側にいてくれることがどれだけ心強いことであるかを理解して欲しいと思う。


 また、花音ちゃんや陽君、更にまた生まれたばかりの大雅君は、当然のことながら、私たちのNY時代のことは何も知らない。しかし、大きくなっておじいさんや、おばあさんのことを少しでも知りたいと思うような年令になったら、この本を見せてやってほしいと思う。どんな思いでニューヨークで単身の生活を送ったか、また、子供を育てるとはどのようなものかを少しでも知って、心の糧にしてもらえれば望外の幸せである。


 写真や「外債発行関係の抜粋」「書信の抜粋」等も添えてみた。

 結婚後55年を経過して、二人とも元気でこのような形でまとめることが出来たことは本当に有難いことと感謝している。また、堀内一家、高橋一家の皆さんが、何時までも、家中揃って仲良く、健康で幸せな生活を送ることを心から願っている。



         平成17年4月吉日      高 橋 春 雄

                            ふ さ


          あ と が き


 1年以上かかってしまったが、このほどようやく私がニューヨーク事務所勤務中、1年8ケ月間に亘って、日本に残された家内と交換した手紙のパソコン入力を終えることができた。40年以上も前のことが、つい昨日のように思い出されて感慨無量である。思い出すままに感想を記してみたい。


・ あの頃日米間で電話がかけられない訳ではなかったが、無線の時代で音質も悪く、料金も3分間で4,320円という高い料金であった。結局、私達もとうとう1回も電話で話したことはなかった。手紙が唯一の通信手段でやむを得ず書いたのだが、それだからこそ記録として残ったようなものである。私たちが調達した資金で太平洋ケーブルが建設され、電話の品質も良くなり、料金も値下げ値下げの連続となった。今のように気軽に電話がかけられたら、このような記録を残すことは出来なかったと思う。


・ 私が出発した時、明美は生まれて百日くらいだった。帰ってきた時は満2歳、その間の成長ぶりが手紙の中に克明に記されており、明美の成長ぶりに驚くとともに、家内の悪戦苦闘ぶりには頭の下がる思いである。その明美にも長女花音が生まれ、今小学校1年生になり、最近男の子が生まれ大雅と命名された。また栄一の方でも昨年9月に陽君が生まれ直子さんも子育てで苦労している。二人の母親たちにも家内の苦労したことを知ってもらいたいと思った。


・ 明美の成長ぶりが具体的に記録されているのが愉快である。片言をしゃべっている様子、皆さんに可愛がられている様子、なかなかきかない様子、注射を怖がる様子等具体的に書いてあって微笑ましい風景である。


・ しかし、明美が腕を外したり、高熱を出した時、一人であれこれ心配する時の気持は考えただけでも胸が痛くなる。何の役にもたたないが、せめてそばに居るだけでも居てやりたいと思った。又社宅という特殊な環境の中で心を許して話せる人がいなかったというのも、さぞ辛いことであったと思う。


・ 私は1年間、単身で外国勤務ということでニューヨークへ行ったが、会社の都合で1年8ケ月に延びてしまい、家内に辛い思いをさせてしまった。平和な時代に期限を切って赴任してさえこれだけの辛い思いをさせてしまったのだから、戦時中、召集令状一本で、乳呑児を抱えて夫を戦地に送り出し、あげくの果て戦死されてしまった未亡人たちの思いはいかばかりであったことか・・・


・ 38年5月3日の手紙に、家内からもらった手紙を「こうして整理してみると、よくもこれだけ書いて頂いたと思う程の分量になりますね。もう一度最初の分から読み直して、我が家の家宝として製本でもして子々孫々に伝えなければなりませんね」と書いている。この部分を読んでこの本を企画した訳ではなかったのだが、当時もこのように思っていたことを知り、それを実現出来たのはとても嬉しく思っている。


・ 家内と一緒に世界旅行をしたいとは、ニューヨークにいた時から思っていたが、これも会社を定年になる頃になってやっと実現することが出来た。ちょうど明美が米国に滞在している頃、栄一もフランスに留学するというので、3人で米国に渡り、明美も一緒になって、ニューヨーク事務所のあった建物や、その後を継いだKDDアメリカの事務所等を訪ねることが出来た。また栄一がパリにいる時二人で訪ね、フランス、イタリヤ、スイス等を訪問、定年記念でハワイ、その他台湾にも行ってきたので、まあ念願を果たせたと思っている。


・ 自動車の購入は帰国直後には実現出来なかったが、定年後念願の自家用車を購入、関東甲信越一円を乗り廻してきた。坂東や秩父の札所めぐり、謡蹟めぐり、新潟や栃木の親戚訪問、花見、紅葉狩等にずいぶん役にたってきた。この年になって何時運転を止めようかと思ったりするのだが、まだ手放せないでいる。


・ 英会話の勉強で苦労したことも、つい昨日のように思い出される。リバーサイド教会、日本クラブ、ニューヨーク大学、外人だけのバス旅行参加等々。あまりうまくなったとは思わないが、一人で旅行にでてもなんとかやっていける程度の自信はついた。帰国後も中国、フイリピン、シンガポール、ロンドン、ドイツ、スイス、オーストラリヤ、ニュージーランド等へ出張する機会に恵まれたのも、この時の勉強が少しは役にたったのかも知れない。


             平成17年5月   高 橋 春 雄



     書信メモ(春雄分) 目次


昭和37.6.5    日航機機内にて

昭和37.6.20    ニューヨーク到着直後

昭和37.7.4    アメリカの会社の仕事ぶり

昭和37.7.7    ニューヨークでも謡曲が出来そう

昭和37.7.19    タイプライター購入、ローマ字で手紙

昭和37.7.28    私も淋しいのです

昭和37.8.3    ホテルからアパートへ引っ越しました

昭和37.8.20    洗濯機の使い方を教わりました

昭和37.8.22    始めて国際電話をききました

昭和37.8.25    日記形式で手紙を書く

昭和37.9.1   今日起ったすべてのことに感謝します。(教会の冊子翻訳)

昭和37.9.2    単独旅行の反省

昭和37.9.5    Riverside Church 訪問

昭和37.9.9    社長及び米田氏到着

昭和37.9.12   借入調印式 日記抜粋(外債関係)参照

昭和37.9.15   Lexington 自動車学校

昭和37.9.20   日本クラブの英会話講習へ

昭和37.9.27   Riverside Church の英語会話初日

昭和37.10.4    ゴルフの練習開始

昭和37.10.8    謡曲サークルから寄せ書き受領

昭和37.10.9    謡曲サークルへの返信

昭和37.10.10   ゴルフ道具購入

昭和37.10.15   一人で考え込む時間を少なくしようと努力しています

昭和37.10.17   二人で世界一周旅行をしてみたい

昭和37.10.20   始めてゴルフ場に連れていってもらう。

昭和37.10.22   財務課長より来信

昭和37.10.29   英作文、英文で手紙を書くことの打診

昭和37.10.31〜11.6 英文の手紙(略)

昭和37.11.3   英文の手紙を送って

昭和37.11.9   英文の手紙なら送る必要なしの手紙をもらって  

昭和37.11.13   自動車運転免許筆記試験パス

昭和37.11.19   自動車運転練習

昭和37.11.26   彦七じいさんの死を聞いて   

昭和37.11.28   五ケ月を経過して

昭和37.12.17   ロードテストの落第通知

昭和37.12.18   「米国通信法」の翻訳

昭和38.1.1    新年おめでとう

昭和38.1.3    雪の降った寒い日は好機到来

昭和38.1.8    ニューヨークでのお正月

昭和38.1.9    Communication Act の翻訳(第1次)終了

昭和38.1.29    New York 大学入学手続

昭和38.1.29    Road test (自動車運転免許) 合格

昭和38.2.5 英語の必要性

昭和38.2.5   New York University 第1回目の授業

昭和38.2.11    月月火水木金金

昭和38.2.16    スキー旅行

昭和38.2.21〜25  プエルトリコ旅行(略)

昭和38.2.27   誕生日の8ミリフイルム拝見

昭和38.3.2 黒沢映画「蜘蛛の巣城」を見る

昭和38.3.3 美術館へ「モナ・リザ」の見学に行く

昭和38.3.10    渡米費用の試算

昭和38.3.27    遠く離れて奥さんの有難さが分りました

昭和38.4.6〜7   ワシントン、ポトマックの桜、ウイリアムバーグ見学(略)

昭和38.4.28    帰国延伸の悩み

昭和38.4.28   国際電話をかけてみて下さい

昭和38.5.3    いただいた手紙製本して家宝としたい

昭和38.5.18   ホテル、マスターに移転決定

昭和38.5.20    将来の無形資産を蓄積したい

昭和38.5.31    仲間達が退職すると聞いて

昭和38.6.11 新しいホテル

昭和38.6.20 帰国問題

昭和38.7.29 増田経理部長「留守宅へ毎週便りを出すように」

昭和38.8.5 外人のバスツアーに日本人一人で参加

昭和38.8.15 塩原君に帰国後自動車購入をすすめられる

昭和38.8.29 転勤問題

昭和38.9.6 明美が熱を出したとか、心配です

昭和38.9.22 社長が来て最終の調印、カクテルパーテイ開催

昭和38.10.3    帰国準備を始めてもよいのでは

昭和38.10.13   社長一行帰国、増田部長の話

昭和38.10.19   土産物には頭が痛い

昭和38.11.3   レンタカーでマンハッタンをドライブ

昭和38.11.24   ケネデイ暗殺事件

昭和38.12.15   帰国問題中ブラリン

昭和38.12.26   本社転勤内示

昭和38.12.28   本社へ転勤命令

昭和39.1.7 フロリダへの旅行計画

昭和39.1.22 帰国予定

昭和39.1.29   ニューヨークよりの最終書信



     書信メモ(ふさ子分) 目次


昭和37.6.16    明美の腕がはずれました

昭和37.6.20    明美とテープで「鉢木」を聞きました

昭和37.6.21    お医者と明美

昭和37.6.30    電車の中で

昭和37.7.17    池袋駅内で脱線事故に遭遇

昭和37.7.28    明美、寝返りが出来ました

昭和37.8.6    明美、人が来ると喜びます

昭和37.8.12    明美の近況

昭和37.8.29    中村社宅に入居決定

昭和37.9.7    ハイハイが出来るようになりました

昭和37.9.21    カヤの外に抜け出す

昭和37.9.29    予定通り二十六日に引越しました。

昭和37.10.4    スバラシイ人形が届きました

昭和37.10.19   何かはじめたいと思うのですが

昭和37.10.22   私の言葉も分るようです

昭和37.10.24   二人で世界旅行ですって?

昭和37.11.5    英文の手紙は送らなくて結構です

昭和37.11.15   明美が熱を出し新潟行きは取りやめました   

昭和37.11.20   中村のおじいさんが亡くなりました

昭和37.11.24   一つ一つの仕草がとても可愛くなって来ました。

昭和37.1125    詩

昭和37.12.5    明美が熱を出しました   

昭和37.12.12   田舎(新潟)に来ました

昭和37.12.25   我が家の十大ニュース

昭和37.12.30   年の暮れに 

昭和38.1.18    自費でも明美を見せに行ってみたい

昭和38.1.24    一戸建てより社宅

昭和38.2.8    童話でも書いてみたい

昭和38.5.31    子供は明美一人ではかわいそう

昭和38.7.18    淋しいけれど会社の都合で延期は仕方ない

昭和38.7.23    すごくキカン坊

昭和38.8.6    本は好きなようです

昭和38.8.11    田舎(新潟)へ行ってきました

昭和38.8.18    帰国問題、有竹さんの話 

昭和38.8.22    帰国問題、福田財務課長の話 

昭和38.8.24    ここまでおいで、コンニチハが出来るようになりました。

昭和38.8.31    昨夜は明美に熱を出されて大変でした。

昭和38.9.4    明美の看病で疲れてしまいました

昭和38.9.9    歌などよく覚えます

昭和38.9.16    アブナイ、アブナイ

昭和38.10.1    自家用車を持つだけの余裕はないと思います

昭和38.10.22   記憶力と運動神経は勝っている・・

昭和38.10.23   社宅問題、学校問題

昭和38.10.25   土産に腕時計を

昭和38.11.11   ママグンナイ、オヤスミ   

昭和38.11.14   「オジチャン チクン チクン ダメヨ」

昭和38.11.16   イーダ、イーダ

昭和38.11.21   かしこいとか、利口だとか

昭和38.12.1    自動車は当分の間おあずけ、自分の家はほしくない

昭和38.12.13   パパオテガミナイ

昭和38.12.21   アケミチャンコンバンワ

昭和38.12.24   遅くとも1月一杯で帰れるようにする、財務課長

昭和38.12.25   クリスマスイブ

昭和39.1.8    ワタシハアカチャンヨ

昭和39.1.18    うみ おーっぱいネ

昭和39.1.23    今度こそ本当にこの手紙が最後になります

ニューヨーク時代1年8ヶ月の二人の交換書信集 平成17.4
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