教授嘱託会の謡曲名所めぐりには、平成元年の「大和路の旅」に初めて参加して以来、謡蹟の持つ不思議な魅力に取り付かれ、翌年からも「摂津・讃岐路」「駿河・伊豆・箱根路」「遠江から美濃路」「下野から羽前」と毎年のように参加してきた。
この頃は謡曲名所めぐりは針生武巳さんが担当しておられたが。毎回配布される「ガイドブック」には、訪ねる神社仏閣や、背景となる源平合戦等歴史のことが詳細に記述されていたので、関連する曲目の理解に大いに役立った。予備知識を得たうえで、実際に自分の目で確かめるので、旅行が終るとその曲が一層親しみやすくなったような気がした。
平成6年の「陸前から陸奥への旅」は藤本成有さんが担当になられたが、1年で病気され、思いがけずも私に担当が廻ってくることとなってしまった。その任でないことはよく承知していたが、とうとう折伏されてしまった。
大谷理事長に大網を示していただきながら、平成7年「越前・若狭・丹後・丹波への旅」、8年「北九州・長門路の旅」、9年「佐渡の旅」、10年「北陸路の旅」、11年「南紀の旅」と5年に亘り候補の選定、コースの立案、案内文の作成、ガイドブックの作成、下見、本番と手がけてきた。
大型バス2台で2泊3日、しかもお年寄りが多いので一人で廻るようなわけには行かない。どの程度参加してくれるか祈るような気持ちで案内を出すと、それでも毎回満員の申し込みを頂けたのは嬉しい限りである。
小浜市の蘇洞門では下見の時は海が荒れて船も途中で引き返したが、本番では絶好の遊覧日和になったこと、九州の朝倉町では「綾鼓」の「桂の池」他を町の教育委員会の方々に案内してもらったこと、佐渡では正法寺で「雨乞いの面」を拝観したせいか、最終日は大雨にたたられたこと、北陸路では高岡市の瑞龍寺で滅多に見られない「燭光能」を拝観したこと等々思い出は尽きない。
健康上の不安もあったので、平成11年の「南紀の旅」は一通りの計画を作った時点で箱田俊雄さんに、謡曲名所めぐりの担当を交代していただいた。私もこの旅に当然参加することにしていたが、持病の喘息発作のため入院、参加できなくなってしまった。本当に良い時に交代していただいたと思っている。
歴代の担当が作ったガイドブックや、会報に掲載された名所めぐりの報告記事など、貴重な資料であるし、とにかく40年も続いているこの行事をなんとか一冊にまとめたいと思い、平成18年「宝生流教授嘱託会 40年間の謡曲名所めぐり実録」として2冊にまとめ、理事長と嘱託会事務室に贈呈した。
桂の池(綾鼓) 許すまじ女御の仕打ち許すまじ 桂の池に身は沈むとも
志度寺(海人) 乳(ち)の下をかき切りを奪いしも わが子を思う母の一念
実盛塚(実盛) 枯木(こぼく)の力もつきて篠原の 土となりたる髪染めし武者
南紀の旅欠席 今頃は野中の清水か本宮か 名所めぐりの熊野路の旅
海女の墓 香川県志度寺 (平成2.5)
蘇洞門(そとも) 小浜市 (平成7.5)
桂の池跡 福岡県朝倉町 (平成8.5)
佐渡能楽の里 (平成9.5)
実盛の塚 加賀市 (平成10.5)
「日々是好日」 −高橋春雄・私の履歴書−