資料   末広会解散記念誌「留扇」より    平成7年2月

           末 広 会 断 想

 

                        宝生会  高 橋 春 雄


 末広会に初めて参加したのは第2回の熱海大会、第3回、4回は外国勤務のため欠席したが、第5回から20回までは皆勤。想い出は尽きぬがその片鱗を記します。

A 熱海(36.9)----
師匠、村本脩三さんの仕舞「葵上」の地を仰せつかったのは秋元亮一、児玉栄太郎、私の3名。一生懸命暗記したのが今でも役にたっている。

D 西浦(40.1)----
広島通さんの発案で、われわれの会場となった西浦の末広別館の名をとり、この会が末広会と命名された。この会の末広がりの願いをこめて。

E 中野(41.2)----
連調「玉之段」、谷政三、吉田隆子、片岡純一の観世の3名の方々の鼓で私ども宝生のメンバーが謡った。まさにこの会にふさわしい試みだった。

F 鳥羽(42.2)----
仲間と一緒に雨の中を伊勢神宮に詣で、二見ケ浦を見る。金剛証寺では雪だった。帰りは船で西浦に出て豊橋から新幹線に乗ったような気がする。

G 熱海つるや(44.2)----
宝生会が幹事だった。このホテルはその後火事で焼失したがまもなく立ち直り、以前より立派なホテルとなったのは嬉しい。

H 三ケ根(46.2)----
山の上の大変眺めのよい所だった。ただ隣りのグループの歌声に邪魔されて、落ち着いた気分で皆さんの謡を聞けなかったのは残念。

I 各務原(47.2)----
今まで年1回幹事持ち回りで開催されてきた末広会も、今後は1年半ごとに開催されることとなった。犬山城に登ったような記憶がある。

J 京都市原谷(49.6)----
帰途、村本脩三、屋敷田甚作さんたちと嵯峨野を散策したのは忘れられない思い出である。その後、嵯峨野には何回となく訪れている。

K 修善寺あさば旅館(51.6)----
池の向かい側に立つ格調高い月桂殿の舞台や、古池相談役が終始姿勢を正して私たちの謡や仕舞を見ておられたのが印象に残る。

L 館山寺(53.6)----
往路は高速バスで始めて東名高速を長距離走ってみた。帰路は館山寺を参詣して新幹線を利用。一泊旅行の行動半径が広くなったのを実感。

M 新宿会館(55.3)----
新宿会館落成記念大会である。観世の渋谷先生、小川先生、宝生の渡邊先生も出席されての賑やかな会だった。今にして思えば末広会の最盛期。

N 奈良ホテル三笠温泉(56.6)----
帰途、秋元さんの提案で有志で石舞台、甘樫の丘など飛鳥の里を廻った。その後謡蹟めぐりやみつきの原因となったようだ。

O 新宿会館(58.3)----
独鼓「俊寛」では小鼓が谷政三さん、謡は私がシテ役を仰せつかった。谷さんの鼓で一緒に謡ったのもこれが最後になったような気がする。

P 新宿会館(60.2)----
池信三氏追善供養の会となってしまった。大野勝三氏も出席され故人を偲んだ。会館の舞台、松の絵・・いろいろ有難うございました。

Q 新宿会館(63.10)----
今度は広島通、古瀬利蔵、志水精次各氏の追善供養である。末広会の重鎮が相次いで亡くなられたのは大きなショック。

R 京都くに荘(H2.6)----
久しぶり東京を離れての開催。帰りは花の万博を見て、大阪の住吉神社、天王寺、伊勢の阿漕塚、美濃の養老の滝等の謡蹟を訪ねてきた。

S ストラーダ新宿(H4.7)----
まさか秋元亮一さんの追善供養の会になろうとは・・谷政三、渋谷光、山本弘二、斎藤吉雄の皆さんも後を追ってしまった。合掌。



                編 集 後 記


 末広会20回分の番組を整理しながら、KDDの謡曲愛好者の層の厚かったのに改めて驚いた。番組に名前が載った方だけでも222名ある。この末広会が「留めの会」とはまことに感無量。しかし、700年の伝統を誇る「能」や「謡曲」が日本から簡単に消え去る筈がない。KDDにも不死鳥の如く蘇る日がきっと来るものと信じている。とっつきにくいが、一生楽しめることは私が体験ずみ。KDD謡曲サークルに「夢よもう一度」と念じつつ、仲間たちとこの小冊子作成に取り組んだ。(高橋春雄)



主な内容

表紙題字     伊東陽子

発刊のことば   会長 村松建男

鏡(写真)    58枚

序(序文、祝辞) 9名

破(会員寄稿)  28名

急(資料)    謡曲十五徳 会合開催一覧 番組記載人名一覧表 末広会名簿
         末広会・讃和会・その他観

         世宝生交流謡会番組

附 祝 言    編集経過報告 編集後記 B5版 136頁

記念誌 「留扇」 表紙
記念誌 「留扇」 表紙



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