謡蹟を意識したのは昭和56年、能「夜討曽我」の十郎役を仰せつかったとき、無事の演能を願って富士市の曾我兄弟の墓にお詣りしたときである。
同じ年にはKDD謡曲サークルの全国大会が奈良で開催され、その帰途秋元さんに誘われて何人かで飛鳥路を廻り「甘檀丘」でみた畝傍、耳成、天の香久山の「三山」にも大きな刺激を受けた。
在職中はなかなか時間がとれなかったが、嘱託会の名所めぐりに参加する頃からはますます興味が湧いてきて謡蹟めぐりにのめり込むようになった。
戦友会、クラス会、嘱託会の諸行事参加の時には往路か帰路に1〜2日付け足してせっせと謡蹟を廻った。行く方面が決まると、木本誠二氏の「謡曲古蹟大成」、青木実氏の「謡蹟めぐり」、謡曲史跡保存会の「謡曲史跡駒札写真百番集」、山川出版社の「××県の歴史散歩」等を引っぱり出して、その地域にある謡蹟をリストアップ、関連資料をコピーする。
全国の分県地図は大体揃っているので、市町村ごとに地図にあたり謡蹟を探し自分なりのコースを組み立てる。能「田村」と「七騎落」を舞った時は、シテ役を仰せつかったので、関連する謡蹟を積極的に訪ね、資料として見に来てくれた方々にお配りした。
京都、奈良、飛鳥、山の辺の道、平泉、衣川など謡蹟の多い所は貸自転車を使い、家内や長男にも時に一緒してもらった。関東甲信越、静岡あたりまでは自分で車を運転して出かけた。遠いところはどうしても列車とタクシーに頼らざるを得ない。
目的の謡蹟がなかなか見つからぬ時もあるが、地元のお年寄りに尋ねて見つかったときの嬉しさは格別である。撮り集めた写真のアルバムも数ばかり多くなって始末に困っている。
しかし、大抵の曲を謡っていても、その曲に関する自分で訪ねた謡蹟が自然に浮かんできてその曲の味わいがいっそう深く感じられるのは謡蹟めぐりの功徳ではなかろうか。
20数年にわたり訪ねた謡蹟の記録は、「謡舞観巡」の項でも触れたように、それぞれの曲目のところで紹介したほか、平成18年〜19年にかけてブログに「謡蹟めぐり」として公開した。最近長男がそれをホームページ形式にしてくれたので、曲目の検索も簡単に出来るようになった。「ホームページ謡蹟めぐり」を是非参照願いたい。
何事のおはしますかは知らねども 古蹟に向かう軽き足取り
古蹟にて眼閉ずれば夢幻界(むげんかい) 古え人に会える心地す
苔むせる古蹟の今に残れるは 語り伝える人あればこそ
安徳天皇御陵 下関市 赤間神宮 (平成8.5)
安徳天皇御陵参考地 (平9.4)
高知県越知町横倉山 タクシーを降り山道を30分ほど歩く
豊玉姫(神武天皇の祖母)御陵 鹿児島県知覧町 (平成7.11)
生田神社(震災前) 神戸市 (平成2.5)
生田神社(震災後修復中) (平成7.8)
生田神社(震災後) 神戸市 (平成11.9)
神戸市の生田神社は「箙」「生田敦盛」等の謡蹟、阪神大震災前後の写真があったので掲げてみた。立派に修復され、「箙の梅」「梶原の井」等も保存されている。
神坂峠(神坂神社) 長野県阿智村 (平成7.10)
中央高速恵那山トンネルの真上、交通不便だが往時は交通の要衝、日本武尊も通ったところ
平忠度の胴塚 神戸市 (平成8.9)
阪神大震災で折れていた
「日々是好日」 −高橋春雄・私の履歴書−