七福神とは恵比須天、大黒天、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋尊の神様。日本では古くからこの七福神を祀り、毎年お正月には七福神の祠を巡拝する風習があったようである。
最初の七福神詣では昭和58年の谷中七福神である。それまではお正月というと、新潟の私の実家に帰ったり、栃木の家内の実家に帰ったりすることもあったが、東京にいる時は、前述のように除夜の鐘を合図に自宅近くの須賀神社、氷川神社、東福寺に参拝するほか、夜が明けると明治神宮、新井薬師、川崎大師、浅草寺など、その時の思いつきで、都内の神社仏閣にお詣りするのが常であった。
どうして七福神詣でをするようになったか、動機ははっきりと思い出せないが、手頃な距離なので家族と一緒にハイキング気分で廻れるし、有名な神社のように混雑もしない、それに御朱印をいただいた色紙が記念に残る。こんなことが今までの初詣でと違った魅力になったのだろうと思う。
一度始めるとお正月の恒例行事のようになってしまった。どうせ廻るなら違った所と思い選んできたが、数えてみるとおよそ25年のうちに、亀戸、新宿山手、深川、山手、柴又、浅草名所、下谷、宇佐美、板橋、日本橋、池上、東海、小江戸川越、港、武蔵野、多摩青梅、秩父、八王子、足利、湘南、横浜、磯子、鎌倉江の島、三浦、佐倉、草加、小石川、東久留米、荏原、千寿、小田原と32ヶ所を廻ったようである。
家内とは全部一緒に廻ったが、長男が一緒のこともかなりあり、足利などは家内の実家の方と一緒に廻ったし、三浦七福神は娘夫婦と孫を加え5人でお詣りしてきた。御朱印をいただいた色紙はカメラにおさめ、形を小さくしててアルバムに整理している。時折、取り出してそれぞれの時や場所を懐かしく思いだしているが、この御朱印の色紙集めが、西国、坂東、秩父、四国の札所めぐりの掛軸の御朱印や、朱印帖何十册もの御朱印を受ける原点になったのかも知れない。
近頃は七福神詣でをする人の数もだいぶ多くなったような気がする。お正月はどうしても御馳走を食べすぎ運動不足になりがちであるが、七福神めぐりは恰好の運動になる。昔の人はうまいことを考え出したものと思う。親子連れ、恋人同志、老夫婦とそれぞれ姿は異なるが、明るい表情の初詣姿は見ていて気持の良いものである。来年のお正月には何処に行こうか。楽しみにしている。
谷中七福神 (昭58.1)
新宿山手七福神 (昭63.1)
亀戸七福神 (昭60.1)
柴又七福神 (平2.2)
うさみ七福神 (平3.1)
浅草名所七福神 (平3.1)
下谷七福神 (平3.1)
武蔵野七福神 (平6.1)
足利七福神 (平8.1)
三浦七福神 (平13.1)
「日々是好日」 −高橋春雄・私の履歴書−