私の履歴書6      旅順予備学生教育部       昭和19〜20(歳)

大竹海兵団では身体検査などありすぐに旅順に向う。下関から関釜連絡船で釜山に上陸、朝鮮半島は筵敷きの貨車で奉天を経由し旅順に着く。集まった学徒 1,260名。海軍士官としての基礎教育が始まる。ここでの教育は私の人生に大きな影響を与えたように思う。気のついた点をいくつか列挙してみる。

海軍では「君」とか「僕」という言葉は使えない。「貴様」と「俺」である。最初はとっつきにくいが、馴れるとこんな親しみのこもった言葉はない。

また「総員起し五分前」から始まって、すべての作業にこの五分前がつきまとう。艦船を主体とする海軍にあって時間の厳守は何よりも尊重される。どのように優秀な軍人であっても、艦に乗らない限り何の役にも立たずむしろマイナスになるのである。

「スマートで目先がきいて几帳面、負けじ魂、これぞ船乗り」「軍人たる前にジェントルマンたれ」海軍ではスマートとかジェントルマンを目指していた。

精神力だけでは艦船による戦いは出来ない。砲術、運用術、航海術、水雷術、機雷術、通信、航空術、整備術、機関術、工作術などの軍事学は物理学や数学と密接な関係があり座学全体の三分の二を占めていた。

毎晩2時間程度が自習の時間に充てられていた。自習時間の締めくくりには、いつも有名な「五省」があった。その日一日の精神行動などについて自ら問うもので、至誠、言行、気力、努力、無精の五項目につき反省を求めるのである。

躾教育の一環として特筆されるべきは教官の鉄拳による「修正」である。将校学生・生徒として精神・態度および動作などにおいて欠陥ありと認められる場合は、鉄拳制裁をもってこれを正すことを「修正」と称した。その適用範囲は極めて広く、どんな些細なことでも見逃さなかった。

そして、旅順における基礎教育も終了に近づいた2月15日、「戦局に鑑み特攻兵器(回天、震洋、特殊潜航艇、魚雷艇)に進む者を募集する旨杉野部長より一同に伝えられた。それまでは私の経歴から「通信」を希望していたが、この話を聞き勿論「衷心熱望」の志願書を提出した。願い叶って特殊潜航艇(蛟龍)艇長講習員として、大竹潜水学校に行くこととなった。

(海軍関係ついては、別にホームページ 特殊潜航艇「蛟龍」(海軍の自分史) に詳細に記述してあるので、そちらも参照願いたい。)


ハンモック入りてラッパの音を聞けば ふるさとのこと思い出されて

毎日の夜学の終り唱えしは 五項目ある反省の語句

基礎教育終り近づくその頃に 特攻志願の有無を問われる

もとよりもかねて期したることなれば 躊躇なく記す熱烈志願と

決定は特潜艇長講習員 大竹潜水学校入学を命ず


海軍予備生徒(昭和19)
海軍予備生徒(昭和19)

軍歌演習 旅順予備学生居郁部 (昭和19)
軍歌演習 旅順予備学生居郁部 (昭和19)

日露戦争戦跡 東鶏冠山北堡塁 旅順市 (昭和19.10)
日露戦争戦跡 東鶏冠山北堡塁 旅順市 (昭和19.10)

日露戦争戦跡 二百三高地見学 (昭和10.10)
日露戦争戦跡 二百三高地見学 (昭和10.10)

五省
五省



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