私の履歴書65   近   況      平成20年

最後になってしまったが、親兄弟や家族、自分自身の近況について触れておきたい。

父は昭和15年、私が15歳の時交通事故で死亡、母と長男の私を含め5人の兄弟が残された。母はさぞ大変だったと思うが、父の分まで長生きし、米寿のお祝いもしてもらい、満90歳になる1日前の平成3年6月27日に亡くなった。私はその年の6月2日に渡雲会の大会で初めてのシテ役で能「田村」を舞うことになっていた。母の病気が重いというので、新潟の実家に時々見舞い、ハラハラしながら推移を見守っていたが、能が済むまでよく頑張ってくれた。私の能を見て欲しかったが、それでも見舞いに行った時、寝ている前で能の真似事をやったらとても喜んでくれた。

兄弟は今日まで全員健在なのは有難い。すぐ下の澄雄君は郷里新潟にあって農業に従事、母の面倒を最後まで見てくれた。お礼の言葉もない。年に一、二度お邪魔して墓参りなどさせてもらっている。魚沼コシヒカリの本場の米や餅を毎年賞味できるのも澄雄君のおかげである。次の嘉雄、岩雄の両名は大東紡織に入社、ここで二人とも結婚、それぞれ二人の子供がいるが、その子供さん達も全員結婚した。嘉雄君は静岡県伊豆長岡で、岩雄君は名古屋で悠々自適の身である。ただ、嘉雄君が奥さんに先立たれたのが残念である。妹のマサエは三鷹の高橋茂さんと結婚、二人の子供に恵まれ孫も出来て、近所の方とカラオケなど楽しみながら元気に過ごしている。

家内の実家は栃木県の壬生町、父徳一は昭和45年、母ハツは49年に亡くなった。兄弟は家内が長女でその下に武夫、隆徳、邦夫の3人の弟、ヨネ、杉野、勝子の3人の妹がいる。殆んどの方が栃木県周辺に住んでいるので、集まるにも便利なので幹事順送りで年に一回兄弟会を開催し、家族も含めて旧交をあたためてきたが、ここ2、3年は中断している。私たちも時折お邪魔して墓参りなどさせてもらっている。父の33回忌、母の27回忌には立派な墓も建て、その法要には一族の多くの方が集まった。

長女の堀内一家は私たちの自宅から歩いても5、6分の所に住宅を新築、12年の8月に引越してきた。孫の花音は小学3年生で大泉小学校へ通っている。大雅は3歳、毎日のようにわが家へ遊びに来ている。家内は追いかけるのに苦労しながらも楽しそうに相手をしている。長男の栄一も結婚して京都に新居を構えたが其の後宇治に移った。私たちも戦友会参加や謡蹟めぐりの折、時々泊めてもらい3歳になった孫の陽君の顔をみるのを楽しみにしている。

私たち二人は平凡な毎日である。昭和41年、仮の住まいのつもりで移ってきたこの分譲住宅での生活も40年余を経過した。比較的閑静で交通の便もよいし子供たちも独立したので二人だけの生活では手頃かも知れない。地下鉄大江戸線が出来てからは交通も一層便利になり、歩いて5分の新江古田駅から新宿へ15分で出られるようになった。新宿のKDDビル、水道橋の宝生能楽堂、飯田橋の逓信病院、練馬の渡邊先生宅とよく出かける所が便利になり喜んでいる。

持病の喘息と仲良くつきあいながらも、足腰の動く間は出来るだけ家の中に引きこもらずに外出するよう心がけている。幸い定例となっている謡の会、昼食会、定期受診、能の観賞、研究会などがかなりあるので、これらには都合のつく限り出席するようにしており、その間を縫って謡蹟めぐりや寺社詣で、旅行社のツアー参加等を計画する。20年間続いてきた小豆島での戦友会も平成16年で終止符を打ったが、その後も有志だけでも集まろうと17、18、19と3年間私も続けて参加してきた。

旅行に出かける時、最近はデジカメを持参している。パソコンを新しくしたのでメモリのことを余り気にせず写せるようになったためである。小さなカードを差し込むだけで300枚ほどの写真が撮影出来るから驚きである。フイルムを何本も持ち歩く必要もないし、その場で写っているかどうか確認も出来、不要なら消すことも出来る。旅行から帰るとその日のうちにパソコンに入力、プリントすることが出来る。入力してしまえばカードは消去してまた使うことが出来る。なんとかこれをうまく活用して増え続けるアルバムの数を少しでも減らしたいと思っている。このデジカメも少し重く感じるようになったので、最近更に軽量のものに買い替えた。

娘夫婦から携帯電話をいただいた。便利なものが出来たものである。いろいろの機能が内蔵されているようであるが、マニュアルを読むのが億劫で、現在のところ通話だけで登録しているのは自宅や子供たちの電話番号程度。しかし、最近公衆電話やテレカを使った覚えがないのは、結構この携帯を利用しているのかも知れない。電話のほかにもいろいろインターネットとかメールとか、興味ある使用方法が沢山あるようなので勉強して見たいと思っている。

パソコン、デジカメ、携帯電話、ADSL、DVD等、新しいものが続々登場し大変魅力を感じるのだが、残念なのは使い方を覚えるのが難しくなってきたこと、またやっと覚えてもすぐ忘れてしまうことである。それでもブログを経てなんとかホームページで自分史をまとめたのは我ながら自分をほめてやりたい気持ちである。

芸事でも同様で、仕舞も身体が思うように動かず、謡の暗記も難しくなってきた。しかし、これも加齢に伴う自然現象であろうから仕方ない。あまり気にせず、ゆっくり時間をかけながら新しいものに対する興味は持ち続けたいものと願っている。


過ぎ去った82年間を振り返ってみるとまことに夢のようであるが、楽しい人生であったと断言できるのは大変嬉しいことである。これもすべて神様、仏様、また私たちを取り巻く多くの方々のおかげであると近頃しみじみと感ずるようになった。今は何時も現在が最高の幸せと思っている。まさに「日々是好日」である。

母の米寿のお祝い 身内一同 (昭63.8)
母の米寿のお祝い 身内一同 (昭63.8)

母の米寿のお祝い 母と兄弟一同 (昭63.8)
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家内の兄弟会 志賀の湯ホテル 志賀高原 (平9.7)
家内の兄弟会 志賀の湯ホテル 志賀高原 (平9.7)

徳一33回忌、ハツ27回忌法要に集まった人見家一族 (平12.9)
徳一33回忌、ハツ27回忌法要に集まった人見家一族 (平12.9)

春雄傘寿、ふさ喜寿、花音入学、陽君・大雅君誕生記念 (平18.4.8)
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