西国札所めぐりを始めてみると周囲の方々の中にも意外に多くの人が札所めぐりをしているのを知り驚いた。なかでも定年を迎えた方が自分でクルマを運転して札所を廻っていることを聞かされたり、刺激を受けた。また西国に秩父、坂東を加えると百観音になることも教えられ、自分もクルマで廻り百観音を達成しようと思い立った。
定年を迎えクルマの運転も始めたので、関東一円の札所は恰好のドライブコースとなった。家内を載せ、都合がつけば長女、長男とも一緒にドライブを楽しみながらの札所めぐりである。長男と一緒の時は運転も適宜交代できるので有難い。
4日間かけて長男と運転を交代しながら、千葉寺を振出に龍生院(下総町)、円福寺(銚子市)、清水寺(岬町)、高蔵寺(木更津市)、笠森寺(長南町)、那古寺(館山市)を経てフェリーで、横須賀に渡り岩殿寺、田代寺(ともに逗子市)、弘明寺(横浜市)を廻ったのは楽しい想い出である。台風シーズンでうち寄せる高波を横に見ながら九十九里浜を走ったこと、横須賀では三笠記念艦を息子と一緒に見ながら海軍の話をしたことなど印象に残っている。
家内と長女を載せて、茨城県の佐竹寺(常陸太田市)、日輪寺(大子町)、清滝寺(新治村)、大御堂(筑波町)、楽法寺(大和町)、観世音寺(笠間市)を廻り、佐野市の赤見温泉で開催の兄弟会にやっと間にあったことも懐かしい。特に日輪寺は茨城、栃木、福島の県境にある八溝山の近くにある寺で、道が悪く果たしてお寺に着けるのか、また戻って来られるのか、前後にクルマの姿も見えない、運転できるのは私一人、とても心細い思いをしたのを思い出す。
喘息を患ってからの札所めぐりには、神仏にすがる思いで般若心経を写経して持参しお寺に納めるのを常とした。現在は写経もやめてしまったが、西国、坂東、秩父あわせてかなり沢山の写経を納めてきた。
秩父札所は昭和59年11月から始めて、61年11月満願、坂東札所は昭和63年から始め殆ど廻ったが浅草の浅草寺だけは残している。
昭和62年春、喘息で始めて入院してから10数年が経過し、その間9回も入退院を繰り返しているが、なんとかこうして比較的元気に謡蹟めぐり、寺社めぐり、戦友会・クラス会出席等、充実した日々を送れるのは、寺社詣でのおかげ、神仏、先祖様のご加護のおかげと感謝している。
坂東第15番 白岩観音長谷寺 群馬県榛名町 (平1.7)
長谷寺に納めた写経 (平1.7)
坂東21番 日輪寺 茨城県大子町 (平1.7)
坂東31番 笠森寺 千葉県長南町 (平1.8)
三笠記念艦 横須賀市 (平1.8)
畑の中のお地蔵さん 秩父22番 秩父市栄福寺近く (昭60.4)
坂東札所 御朱印 掛軸
秩父札所 御朱印 掛軸
「日々是好日」 −高橋春雄・私の履歴書−