私の履歴書18 国際ケーブルシップ株式会社(KCS) 昭和59-63(歳)

昭和59年3月KDDを定年退職した後、上司のはからいで第二の職場としてKDD100%出資の国際ケーブルシップ株式会社への就職を斡旋して頂き、同年6月取締役経理部長として就任させていただいた。

この会社は所有するKDD丸という海底ケーブル敷設専用の船を使って、日本と外国だけでなく国外にもどんどん進出して、海底ケーブルを敷設したり、障害が発生した時はこれを保守するのが主な仕事である。

若い頃海軍にいた私は船も海も大好き。KDDでもケーブル関係の仕事に深くかかわってきただけに、まことに有難い職場である。技術屋ではないから船の上で仕事をするわけには行かないが、それでも入社して間もなく訓練航海の際に同乗を許され、東シナ海で何日間か乗船し実際の作業の状態を見せてもらった。船に乗っていると船乗り魂というか、いわば生死を共にするというような連帯感が生じ、往事を想い出して大変懐かしかった。

私たち経理の仕事はそれほど難しいものではなかったが、時代が漸く競争の時代に入りかけておりケーブル敷設の面でもコスト削減が求められるようになってきた。船の運航は当時全て大阪商船三井に委託していたがそのやり方も根本的に見直す必要ありとして検討を進めていた。KDD事件以降KDDでも経費節減に真剣に取り組んできたが、ここでも同じ様な仕事の連続、経理屋の宿命なのかも知れない。

この会社に移って従来より若干時間と気持の上で余裕が出てきたので、ドライブその他いろいろのことに手を出すようになった。謡曲の関係では時間の許す限り宝生流教授嘱託会の行事に参加するようになった。車の運転も始め、関東各地の札所、謡蹟めぐりにも出かけるようになった。また、念願のワープロも入手、馴れるに従いその重宝さが有難く夢中になってきた。

その反面、長年の疲れが出てきたのか、風邪をこじらせて気管支喘息にとりつかれ、何回も入退院を繰り返し周りの方々に迷惑をかけることにもなってしまった。これらについては項を改めて書くこととする。

KCSでの4年間、病気でご迷惑をかけたが、周囲の皆さんの理解と協力に支えられ、任期を何とか無事に終えて昭和63年6月、49年余りにわたるサラリーマン生活に名実ともに終止符を打たせていただいた。


有難し第二の職場KCS お船の仕事ケーブル敷設

船乗れば往事偲ばれ胸騒ぐ 風よ吹け吹け波よ立て立て

四年間本当にお世話になりました 厚く御礼申し上げます

これからは思うとおりに出来るとき 自分の人生輝かすとき

ケーブルシップ KDD丸竣工 (昭和42.6)
ケーブルシップ KDD丸竣工 (昭和42.6)

KDD丸見学 (昭和42.7)
KDD丸見学 (昭和42.7)

KDD丸洋上訓練参加 (昭和59.9)
KDD丸洋上訓練参加 (昭和59.9)

KCS旅行 山中湖 (昭和59.12)
KCS旅行 山中湖 (昭和59.12)



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私の履歴書

「日々是好日」 −高橋春雄・私の履歴書−