資料   弥生会500回記念誌「やよい」より  (平成13年7月)

          編 集 後 記


 弥生会が発足してから25年を経過し、500回を迎えるというので皆さんの文集を主とした記念誌の作成を思い立ち提案してみた。幸いご賛同を得て皆さんに原稿をお願いした。果たしてどれだけ集まるか心配であったが、現役会員のほとんど全員の方から原稿が寄せられ、またこの会の功労者である飯田一郎さん、鹿島清さんからも玉稿をいただけたのは大変嬉しかった。渡邊三郎先生からも序文を頂戴し、記念誌に花を添えていただいた。


 折角の記念誌だから文集とともに、25年間の写真や資料も作成してみたいと思った。私自身の手元にも若干の資料や写真はあるが、会が発足した頃は欠席がちのうえに、散逸したものもかなりあって全体を網羅することは出来なかった。それで八角さんにお願いして、お忙しい中を発足以来の番組の記録や写真等を沢山提供していただいた。八角さんが諸々の案内を作成保存され、またこまめに写真を撮ってくれていたおかげで、写真編と資料編はかなり充実したものになったと思っている。そのうえ八角さんには25年間の会の足跡をまとめていただいた。表紙題字の揮毫もお願いしたのだが、最近は手がふるえて書けないとのこと、残念至極である。


 記念誌作成の作業は大変楽しいものであった。弥生会の会合、山口湖畔や竹寺、弥生若松合同謡会、練馬謡曲連盟等の写真を見ていると、こんな若い頃もあったのだ、この方もおられたのだ等と大変懐しかった。また、弥生会への参加記録を作ってみると、発足の時11名に呼びかけてスタートした会に41名もの方が名を連ねている。こんなにも多くの方々が参加したのかと驚くとともに、物故された方も9名を数える。退会された方もかなりの数にのぼって当初からのメンバーは少なくなってしまった。しかしながら現有勢力約20名、毎回活溌に活躍しているのは頼もしい限り、何時何時までもこの会が続いてほしいと願うものである。

 なるべく経費をかけないで記念誌を作ろうとしたため、原稿も大部分私のパソコンで作り、印刷もスーパーのコピー機を使い、製本も私の手元にある簡単な器械を使った。業者のように綺麗には出来なかったが、事情ご検察の上お許し願いたい。(高橋春雄記)




         謡蹟めぐり、寺社詣で

                           高 橋 春 雄


 私が謡蹟と意識して最初に訪ねたのは、昭和56年、能「夜討曽我」の十郎役を仰せつかったとき、無事の演能を願って富士市曽我寺の曾我兄弟の墓にお参りしたときである。また、同じ年にはKDD謡曲サークルの全国大会が奈良で開催され、その帰途秋元さんに誘われて何人かで飛鳥路を廻り「甘橿丘」でみた畝傍、耳成、天の香久山の「三山」にも大きな刺激を受けた。それ以来私の謡蹟めぐりは今日も続いている。その数は細かく数えると2,000を越えているものと思う。最も新しいのは本年4月の鎌倉、源氏山公園の源頼朝像や寿福寺の北条政子の墓等である。

 札所めぐりを最初に思い立ったのは、昭和58年京都でのクラス会に参加するため、家内と二人で南紀経由で那智山(西国札所第一番)に参詣した時である。掛軸にご朱印をいただいている方が多いのを見て、自分たちもと思い立った。早速掛軸をもとめて第一番のご朱印をいただき、京都では当初の計画を変更して市内の札所を廻った。並行して坂東、秩父の札所も廻った。こちらのほうは定年後始めたクルマで廻り、何年かかけて達成することができた。四国の88ヶ所も昨年からバスツアーで3回に分けて参加、第1番の霊山寺からスタート、四国を一周して第88番大窪寺、高野山に詣り結願することが出来た。

 お正月には七福神詣でをするのも恒例となった。昭和58年の谷中七福神を最初に、亀戸、新宿山手、深川、山手、柴又、浅草名所、下谷、宇佐美、板橋、日本橋、池上、東海、小江戸川越、港、武蔵野、多摩青梅、秩父、八王子、足利、湘南、横浜、磯子、鎌倉江の島と廻り、本年は三浦七福神を娘夫婦と孫も加え5人でお詣りしてきた。

 その他の神社やお寺も随分沢山お詣りした。旅行に出かける時はたいてい朱印帳を持って行く。最初にいただいたご朱印は、昭和63年、丑年生まれの私の守り本尊虚空蔵菩薩で有名な会津柳津の圓蔵寺のものである。最も新しいものは本年4月、鎌倉の北条時頼の廟所、明月院のものである。今までにどの位いただいたのかと、今回数えてみたらご朱印帳のものだけで476、これに西国、坂東、秩父、四国の札所の掛軸の分が189、七福神の色紙のものが、25ヶ所で 175、合計すると840になった。振り返ってみるとおよそ20年の間によく廻ったものと我ながらびっくりした。

 寺社といっても靖国神社は別格である。戦時中苦楽を共にした戦友が眠る所である。桜の咲くころ、8月15日の終戦記念日、12月8日の開戦記念日には出来るだけお詣りするようにしてきた。戦友会で昇殿参拝したこともあり、「靖国神社の桜の下で同期の桜を歌う会」に参加したこともある。

 在職中はなかなか時間がとれなかったが、昭和59年3月、KDDを定年退職してからは、謡蹟めぐり、寺社詣でに拍車がかかるようになった。戦友会、クラス会、教授嘱託会の諸行事参加の時には往路か帰路に1〜2日付け足したりしてせっせと謡蹟や札所を廻った。行く方面が決まると木本誠二氏の「謡曲古蹟大成」、青木実氏の「謡蹟めぐり」等を引っぱり出して、その地域にある謡蹟や神社仏閣をリストアップする。幸い高野山や清水寺のように謡蹟と寺社が一致するものも結構多いのに驚く。

 次いで分県地図で市町村ごとに地図にあたり自分なりのコースを組み立てる。能「田村」「七騎落」を舞った時は、関連する謡蹟を訪ね、小冊子を作成し見に来てくれた方々にお配りした。京都、奈良、飛鳥、山の辺の道、平泉、衣川、伊勢など謡蹟の多い所は貸自転車を使い、家内や長男にも時に一緒してもらった。関東甲信越、静岡あたりまでは自分で車を運転して出かけた。普段地下鉄の階段などで息が切れて仕方ないのだが、謡蹟となるとかなり石段があっても苦にならないから不思議である。目的の謡蹟がなかなか見つからぬ時もあるが、地元のお年寄りに尋ねたりして見つかったときの嬉しさは格別である。撮ってきた写真をアルバムに整理しながらもう一度思い出をかみしめるのも楽しい。準備、実行、整理と一回の旅行で3回楽しんでいる。

 謡を謡い、能を見ていても、その曲に関する謡蹟が自然に浮かび興趣が一層増すのも謡蹟めぐりの功徳と思う。たとえば、「清経」の宇佐八幡宮や柳が浦、「大原御幸」の赤間神宮や寂光院、「頼政」の宇治平等院や扇の芝等々。

 定年退職してから喘息その他で9回も入退院を繰り返しているが、初めの頃親戚の方に先祖を大事にするよう言われた。以後朝夕仏前で般若心経を唱えるようになり、寺社詣でも積極的になったような気がする。西国や坂東の時は写経をして納めた所も多い。四国を巡ってからは先達に倣って般若心経のほかに、「勤行次第」に従って、開経偈、懺悔文、御真言も朝夕唱えている。

 時々病院で休養をとりながらも、弥生会はじめ沢山の謡の会、クラス会、戦友会等に出席出来、謡蹟めぐりや寺社詣でに出かけることが出来るのは、神仏のご加護のお陰と心から感謝している。


     神仏の加護と謡の功徳にや 古蹟に向かう軽き足取り

     古蹟にて眼閉ずれば浮かびくる ゆかりの人の此処の振る舞い

     苔むせる古蹟の今に残れるは 守り伝える人あればこそ

富士市 曽我寺 曽我兄弟の墓
富士市 曽我寺 曽我兄弟の墓

奈良県明日香村 甘橿の丘
奈良県明日香村 甘橿の丘

鎌倉市源氏山公園 源頼朝像
鎌倉市源氏山公園 源頼朝像

鎌倉市 寿福寺 北条政子の墓
鎌倉市 寿福寺 北条政子の墓

西国1番札所 那智山 青岸渡寺
西国1番札所 那智山 青岸渡寺

四国1番札所 霊山寺
四国1番札所 霊山寺

四国88ヶ所札所 大窪寺
四国88ヶ所札所 大窪寺

谷中七福神
谷中七福神

三浦七福神
三浦七福神

会津 柳津虚空蔵 圓蔵寺
会津 柳津虚空蔵 圓蔵寺

靖国神社
靖国神社

高野山 金剛峰寺
高野山 金剛峰寺

京都 清水寺
京都 清水寺

九州 宇佐八幡宮
九州 宇佐八幡宮

下関市 赤間神宮
下関市 赤間神宮

宇治市 平等院鳳凰堂
宇治市 平等院鳳凰堂

弥生会500回記念誌 「やよい」 (平成13.7)
弥生会500回記念誌 「やよい」 (平成13.7)



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