芦屋市

謡蹟めぐり  砧 きぬた

ストーリー

九州の芦屋何某は訴訟のために上京しているうちに、早くも三年を過ごす長逗留となってしまいました。故郷では妻が夫の帰国を待ちわびて物寂しい日々を送っています。三年目の秋、侍女の夕霧が夫に遺わされ、今年の暮れには必ず帰国すると伝えます。喜びながらもやるせない妻は、せめてもの心慰めにと、里人の打つ砧を取り寄せて打ちながら、この音がわが思いを乗せて都の夫の心に通じるようにと念じます。しかし今年も帰国出来なくなったという知らせを聞いた妻は病となり、ついに命を落とします。
帰国した夫が妻の死を知って弔うと、妻の亡霊がやつれ果てた姿で現れます。妻は、恋慕の執心にかられたまま死んだために地獄に落ちていたのですが、いまだに夫が忘れられず、恋と恨みの半ばするやるせなさを夫に訴え、そのつれなさを責めますが、読経の功徳で成仏します。
「砧」は布を木槌で打って柔らかくしたりつやを出したりするための台のこと。能はこれを巧みに用いて、砧を打つ音と秋の情趣、妻の夫を想う心を表現します。(「宝生の能」平成10年11月号より)

八剣神社  福岡県水巻町立屋敷  (平7・8記)

この神社は本曲のシテを祀った社と伝えられるとのことで訪ねてみたが、案内板の説明によると砧姫といっても日本武命に関連した姫のようである。
案内板に記された物語を要約すると、日本武命が熊襲征伐に来られた時、この里の館に泊った。ふと砧の音が聞こえたので訪ねると一人の若い女が砧を一心に叩いている。事情を聞くと宮中に仕えていたが、仲間のざん言がいやになりこの里で暮らしているとのこと。命はかわいそうになり自分のそばにおき、身の廻りの世話をさせることにした。熊襲を平らげ命は都へ帰ることとなったが、姫はすでに身重になっていた。そこで命は自分たちの浅かった契りの思い出に一本の銀杏を植えたのが今の大銀杏であるという。
境内には大きな銀杏の木があり、すぐそばには遠賀川が悠々と流れていた。

八剣神社 八剣神社 福岡県水巻町立屋敷 (平3.5) 本曲のシテを祀ると伝えられるが、日本武尊に関連する砧姫を祀るようである

芦屋の里 福岡県芦屋市  (平7・8記)

九州芦屋の里が本曲の舞台となっているが、砧関係の史跡は見当たらない。市役所へ行って「芦屋ガイドブック」なる冊子をいただき調べてみたが、謡曲「砧」のことは紹介してあっても、「これはあくまで創作品で、世阿弥自身が芦屋に来たという訳ではない。」と書かれている。
「清経」に出てくる山鹿城の城跡という城山公園に上って芦屋市と遠賀川を撮ってきた。

芦屋市 芦屋市と遠賀川 福岡県 (平3.6) 舞台は芦屋となっているが謡蹟は見当たらない

「末の松山」 宮城県多賀城市八幡 宝国寺 (平7・8記)

曲中に
  「恥かしや思ひ夫の、二世と契りてもなほ、末の松山千代までと」
と謡われている。清原元輔の
   契きなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波こさじとは
で有名であり、芭蕉もここを訪ねている。

末の松山 末の松山 多賀城市八幡 (平2.6)

末の松山 末の松山碑 多賀城市町万 (平2.6)


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