富士の巻狩りに参加して首尾よく仇討ちの本懐を遂げたあたりで謡蹟も多い。
富士の巻狩りが行われたのは現在の富士宮市あたりの富士の裾野であろう。巻狩りの宿営は景勝の地白糸の滝あたりとされ、音止めの滝は白糸の滝の台地を一つ越したところにある。兄弟はここで仇討ちの相談をしている時、滝の音が邪魔になったので、十郎が「この滝めが」と怒鳴ると滝音が止み、相談が終わるとまた轟々とおとを立てたという。
富士の裾野 富士宮市 (平3.5) 富士の巻狩りが行われたのはこのあたりか
白糸の滝 富士宮市 (平3.5) 巻狩りの宿営はこの滝のあたりという
音止めの滝 富士宮市 (平3.5) 滝の音が邪魔になるので十郎がどなると音が止んだという
工藤祐経は建久4年5月28日、しのつく雨の夜、曽我兄弟の仇討ちにより、陣屋で殺害された。この墓は工藤祐経がこの地に埋められたと伝えられることから長い間ひっそりと守られてきたという。墓は朱塗りの小屋の中に納められている。
この近くには、曾我兄弟隠れ岩がある。兄弟はここに隠れて仇討ちの機会を狙っていたという。
工藤祐経の墓 富士宮市上井出 (平3.5) 墓は朱塗りの小屋の中にある
曽我兄弟隠れ岩 富士宮市上井出 (平3.5) 兄弟はここに隠れて機会を狙った
兄弟は祐経を討ち本懐を遂げたが、衆寡敵せず十郎は仁田四郎忠常に討たれ、五郎は単身頼朝の陣屋に向うが、見参かなわず五郎丸に捕われ、翌朝頼朝の裁きにより身柄は祐経の子、犬房丸に渡され処刑されたという。頼朝は兄弟の親を思う心と武勇に感じ、首級は尾川三郎に命じ丁重に凡夫川(首洗井戸)で清め曽我の母のもとに送らせたという。(曽我寺資料)
五郎首洗いの井戸 富士市厚原 (昭56.5) 首は丁重に清め曾我の母に送ったという
兄弟の遺体はこの地で荼毘に付した。そして一周忌の法要を箱根権現で済ませた後、養父、母、叔父三浦義澄、従兄和田義盛により、生地伊豆、育った曽我をさけて本懐を遂げたこの富士の鷹岡の地に骨を埋めた。その場所が今の曽我寺という。
境内には兄弟の墓がある。五輪の塔の下に兄弟の骨が埋められた。この墓を擁護するが如く700年以上の歳月を経た榧(かや)の木、椎の木が茂っている。
兄弟の法号は、兄十郎祐成 22歳
高崇院殿峰岸良雪大居士 建久癸丑年5月28日
弟五郎時致 20歳
鷹岳院殿士山良富大居士 建久癸丑年5月29日
私が謡蹟と意識して訪ねたのはこの曽我兄弟の墓が最初である。昭和56年5月31日、渡雲会の春季大会で能「夜討曽我」の十郎を演ずることとなり、5月の連休に家族と山中湖で過ごした帰途一同でここを訪ね、兄弟の墓に詣でて演能の報告と御加護を祈願したのである。私にとっては謡蹟めぐりの第1号となった訳で大変思い出深いところである。
境内にはまた、十郎の相思の女虎御前と五郎の相思の女化粧坂少将の歌碑がある。
虎御前の歌
露とのみ 消えにし跡を来てみれば
尾花かすえに 秋風ぞ吹く
化粧坂少将の歌
捨つる身に なほ思ひ出となるものは
問ふにとはれぬ 情なりけり
生涯を仇討ちに捧げ20歳や22歳という若さでその生涯を閉じた二人に、相思相愛の女性がいたと知り少しは心がなごむ思いがする。しかし、若くして相手を失ってしまったこの女性たちも不憫なことではある。近くにある玉渡神社に虎御前が、また姫宮神社に化粧坂少将が祀られており、また、虎御前の腰掛石もあるとのことである。
最期に兄弟が仇討ち前に母御前に送った遺書よりの一首を掲げる。
十郎 たらちねは 斯れとてしも育てけん
露けき野辺の土となる身を
五郎 思はれよ 花の姿を引替へて
あらぬ形見を残すべしとは
曽我寺 富士市久沢 (昭56.5) 兄弟の遺体はこの地で荼毘に付された
曽我兄弟の墓 曽我寺 (昭56.5) 私の謡蹟めぐりの第1号の場所
虎御前・化粧坂少将の歌碑 曽我寺 (昭56.5) 兄弟の愛人二人の歌碑
曲中「箱根の寺にありし箱王といっしえせ者か」とあるが、その箱根の寺が、芦ノ湖遊覧の際湖畔に赤い鳥居の見える箱根神社である。五郎はここで修行し、後に十郎と連れ立って脱出して元服し、兄弟の出陣のときもここに暇乞いをした。
この神社の石段中腹左側に曽我神社があり兄弟を祭神として祀っている。五郎(箱王)は実父の菩提を弔うべく箱根権現別当行実僧正の下に預けられ稚児となったが、孝心やみがたく杉の木を相手に秘かに武術にはげんだ。文治2年正月、13歳に成長した箱王は源頼朝の箱根権現参拝に和田義盛等とともに幕僚として参列した工藤祐経を眼のあたりに見て、復讐の念に燃え隙をうかがったが遂に果たせず、かえって祐経から赤木柄の短刀を与えられ諭される始末であった。このあたり、謡曲「調伏曽我」に詳しい。
箱根神社の宝物館には十郎、五郎の木像や工藤祐経から与えられた赤木柄の短刀、兄弟が仇討ちに使用した刀などが保存されている。
箱根神社 神奈川県箱根町元箱根 (平3.5) 五郎はここで修行した
曽我神社 神奈川県箱根町元箱根 (平3.5) 箱根神社中腹左側、兄弟を祭神とする
実相寺が工藤祐経の邸跡といわれるが、それらしいものは見当たらなかった。
実相寺 鎌倉市材木座 (6.12) 工藤祐経の邸跡といわれるが確認できず
兄弟には母の先夫の娘、すなわち兄弟の姉にあたる渋美という女性がいた。二宮の領主二宮太郎朝忠に嫁いだが後に尼となり花月尼と呼ばれた。この花月尼が兄弟を弔った所がこの知足寺で、裏山には二宮夫妻と兄弟の墓が並んでいる。
知足寺 神奈川県二宮町二宮 (平7.4) 兄弟の姉花月尼が兄弟を弔った所
曽我兄弟と二宮夫妻の墓 知足寺 (平7.4) 手前から二宮太郎、花月尼、十郎、五郎の墓
十郎は五郎とともに工藤祐経を討ち本懐を遂げたのであるが、その時十郎の愛人虎御前(山下長者の娘)は懐妊中であった。やがて男子を産み祐若と名づけたが、長じて後戦功により平塚の荘を賜った。後、出家して親鸞に師事し了源となりこの寺を建立したという。
善福寺 神奈川県大磯町高麗 (平7.4) 十郎の愛人虎御前の子が出家し、建立した寺