処女塚

謡蹟めぐり  求塚 もとめづか

ストーリー

旅の僧が摂津の生田の里を通りかかり、春浅き野辺の景色の美しさに見とれていると、さも楽しげに若菜を摘む若い女たちが来かかります。僧は求塚のありかを尋ねますが、女たちは知らないと答え、残雪をかき分けて一心に若菜を摘み、いつしか家路へと帰って行きました。ところが一人残った女がいて、僧を求塚に案内し、塚にまつわる伝説を詳しく話して聞かせます。
昔、二人の青年が菟名日処女(うないおとめ)に恋をして、二人は同時に恋文を送りました。女はどちらへもなびかず、生田川のオシドリを射止めた男に従うと言うと、二人の矢は同時に一羽の鳥を射止めたため、女は悩み抜いて川に身を投げ果て、男たちも刺し違えて死にました。
こう語ると女は救済を乞うて、意味ありげにこの塚の中に姿を消します。僧が弔うと夜半に菟名日処女の霊が塚の中から現れ、地獄の苦しみの数々を見せてまた塚の中に消え失せます。(「宝生の能」平成12年3月号より)

処女塚 神戸市東灘区御影塚町 (平2・10記)

阪神本線の石屋川駅で下車、南に歩くと道路の交差点には「処女塚」の標識も見られ、前方後円の大きい古墳の入口には「史跡処女塚古墳」と書かれている。最近整備されたばかりと見えて周りには真新しい鉄製の柵がめぐらされている。
柵の中には大きな碑が二つ並んで建っている。案内板の説明によると、右側の碑は湊川の戦いに敗れた新田義貞の窮地を救った小山田高家を称える碑であり、左側の碑が処女塚歌碑と称されるものである。
処女塚歌碑には立派な文字が刻んであるのだが読めない。案内板に説明していただく。

「     田辺福麻呂の歌碑
 「古(いにしえ)の 小竹田壮士(ささだおとこ)の妻問ひし
             菟原処女(うないおとめ)の 奥つ城ぞこれ」
この歌は、万葉の歌人、福麻呂が旅の途中で処女塚に立寄った時の現況と、それから受けた感動を歌ったものである。古くから処女塚古墳には、東灘区住吉宮町一丁目の東処女塚と、灘区都通三丁目の西処女塚古墳にまつわる悲恋の伝説が言い伝えられている。
この伝説は、二人の男性が一人の女性を慕ったため、女性は身を処しかね、嘆きつつ死んでしまった。それを知った二人の男性も悲しみ後を追った。女性の墓を中心にして、男性の墓を東西に造ったという物語である。云々  」

処女塚古墳碑 史跡処女塚古墳の碑 神戸市東灘区 (平2.5)

処女塚歌碑 処女塚歌碑 神戸市東灘区 (平2.5)

処女塚 処女塚 神戸市東灘区御影塚町 (平2.5)

求女塚の碑 神戸市東灘区住吉宮町 求女塚東公園 (平19・7記)

処女塚の東約1.5キロの地点にある、東灘区住吉宮町の求女塚東公園内には立派な「求女塚の碑」が建っている。案内には「信太壮士の墓」と記されているが、佐成謙太郎著「謡曲大観」によると、本曲の血沼の益荒男(ちんのますらを)の塚のようである。

求女塚東公園 求女塚東公園 神戸市東灘区 (平11.9)

求女塚の碑 求女塚の碑 神戸市東灘区 求女塚東公園 (平11.9)

求女塚 神戸市灘区都通 求女塚西公園 (平19・7記)

これは処女塚の西約2キロの地点にある求女塚西公園の中にある。「求女塚 神戸市」と書かれたコンクリート製の杭が傾いたまま立っているだけであるが、かなり広い部分が盛り土されて塚となっており、草が生い茂っていた。説明には菟原壮士(うないおとこ)の墓と記されているが、本曲にいう小竹田男(おさだおとこ)の墓のようである。

西求女塚 「求女塚 神戸市」碑 神戸市灘区都通  求女塚西公園 (平11.9)

西求女塚古墳 求女塚古墳 求女塚西公園 (平11.9)


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