肥後国阿蘇の宮の神主・友成は、都見物へ行く途中播州高砂の浦に立ち寄り、静かな浦の景色を眺めています。
すると年たけた老夫婦が現れて松の木陰を掃き清めるので有名な高砂の松はどれかと尋ね、また高砂の松と住吉の松とは場所が離れているのになぜ相生の松と呼ばれるのかと問います。
老人はこれこそが高砂の松であると教え、たとえ山川万里を隔てても夫婦の愛は通いあうもので現にこの姥は当所の者、尉は住吉の者だと言います。そして老夫婦はさまざまな故事をひいて松のめでたさを語り、御代を寿いだ後、実は自分たちは相生の松の精であると明かし、住吉で待つと告げて沖へと消えて行きます。
友成は日の出とともに高砂の浦から舟で住吉へと急ぎます。住吉へ着くと、残雪が月光に映える頃、波間から住吉明神が出現し千秋万歳を祝って颯爽と舞います。(「宝生の能」平成13年1月号より)
本曲の舞台は播州高砂の浦である。往時は高砂神社のあたりまで海岸が迫っていたのであろうが、手持ちの地図によると、現在の海岸線は神社より1キロ以上も南にり、高砂町相生町など魅力的な町名だが、工場地帯のようで私どもには近づけそうもない。半ば諦めていたが、念のためタクシーの運転手に聞いてみると、加古川の河口付近が公園になっているとのこと。早速車を走らせてもらう。
到着してみると「県立高砂海浜公園」として立派に整備され、園内には沢山の松の樹が植えられ、砂浜も作られていた。これなら高砂の浦と云ってもよいのではないか。よくぞこのようにして残してくれたものと関係者の配慮に感謝する。人工の渚に立ってこのあたりから浦船に帆をあげて住吉を目指して船出した光景を想像してみる。
高砂の浦(高砂海浜公園) 高砂市 (平7.3)
神功皇后が創建したと伝える高砂神社は加古川の河口近くにある。神社のすぐ前には神木いぶきがあり、ワキの友成が挿した杖が生育したものと云う。
高砂神社 高砂市 (平7.9)
御神木いぶき 後方は高砂神社 (平7.9)
高砂神社境内には相生の松がある。略記によると、この神社が創建されて間もなく一本の松が生い出でたが、その根は一つで雌雄の幹が左右に分かれていたので、見る者神木霊松などと唱えていたところ、ある日伊弉冊尊、伊弉冉尊の二神が現われ、「われは今より神霊をこの木に宿し、世に夫婦の道を示さん」と告げられた。これより人は相生の霊松と呼びこの松を前にして結婚式を挙げるようになったという。
現存するのは五代目の松で、三代目は昭和12年枯死したが、今も相生古霊松舎にその幹のみ名残りを留めている。
相生の松(五代目) 高砂神社 (平7.9)
相生古霊末社(三代目幹) (平7.9)
人々は松の木に現れた二神を「尉と姥」の御神像として祀り、平和と長寿の象徴としてきたが、天正年間戦乱のため行方知れずになってしまった。幸いこの御神像が寛政7年京都で見付かり、この社に御遷座、奉祝祭が盛大に行われたという。
神社の傍らには高砂神社会館があり、その外壁には尉と姥が大きく描かれている。
尉姥神社 高砂神社境内 (平7.9)
尉姥の壁画 高砂神社境内 (平7.9)
加古川対岸の加古川市に尾上神社があり、ここにも尾上の松(相生霊松)がある。こちらの由緒には、初代の松は、謡曲「高砂」に謡われた霊松で、地上2メートルのところから男松と女松に分かれていたが、豊臣秀吉の三木城攻めの時に切られ、残った木も枯れてしまった。三代目の松は天然記念物の指定をうけていたが、樹齢四百年で惜しくも枯死した。現在の松は、五代目であり、今なお名松の誉れが高いと記している。
尾上神社 加古川市 (平7.9)
尾上の松 尾上神社 (平7.9)
尾上の松の側には謡曲「高砂」の一節
所は高砂の尾上の松も年ふりて、老の波も寄り来るや、
木の下陰の落葉かくなるまで命ながらへて
なほ何時までか生きの松、それも久しき名所かな
を刻んだ謡曲の碑が建っている。
謡曲「高砂」の碑 尾上神社 (平7.9)
曲中に「高砂の尾上の鐘の声すなり」と謡われる尾上の鐘は尾上の鐘堂の中に納められており拝観は出来なかったが、神功皇后が朝鮮から持ち帰った注目すべき朝鮮鐘とのことである。
尾上の鐘堂 尾上神社 (平7.9)
土地の伝承では、ワキの友成が高砂の浦から船を出そうとしたが、浜辺に立てておいた竹の棹が抜けず、船も動かなくなったので、観音寺を建立し観音を祀ったところ漸く船出できたという。尾上神社から500メートルくらいの所に現在も白旗観音寺があり、航海安全祈願の人々で賑わっているとのこと。
白旗観音寺 加古川市 (平7.9)
本曲のワキ友成は阿蘇神社の神主である。境内には高砂の松(えんむすびの松)が植えられている。由来によると、友成は天皇より位階上昇の御沙汰をうけて宮中参内のため京へ上った。その道すがら播州の尾上で縁起よい松に詣でた。友成はこの松の実を持ち帰りこの神社に植えた。爾来千年あまり植えかえながら大切に育て今日に至ったという。昔より縁結びの願いごとには特に霊験ありとされている。
阿蘇神社 熊本県一の宮町 (平3.10)
高砂の松(えんむすびの松) 阿蘇神社 (平3.10)
本曲の後シテは住吉明神である。住吉大社の御祭神は、底筒男命(そこつつのをのみこと)、中筒男命(なかつつのをのみこと)、表筒男命(うわつのをのみこと)の三神であるが、これを総称して住吉大神と呼ぶそうである。伊弉諾尊が黄泉の国から逃げ帰って筑紫の小戸(おど)、檍(あおき)が原で禊をしたが、この時海の中から生まれたという。曲の中にも
西の海檍が原の波間より あらはれ出でし住吉の神
の古歌が殆どそのまま引用されている。
住吉大社 大阪市住吉区 (平2.6)