「翁」は能にして能にあらずといわれ、一種の神事として極めて厳粛且つ儀式性の濃い祝祷の舞として古くから重んじられて来ました。千歳・翁・三番叟の三人の役者が、順次歌舞を勤めますが、三者の間に戯曲的な構成はなく天下泰平・国土安穏・五穀豊穣を祈願してめでたい舞を舞い、延年を祝福します。演出も他の能とは異なる独自の様式を持ち、はじめに面箱・翁・三番叟、続いて囃子方・地謡・後見は侍烏帽子・素袍姿で、地謡も橋掛りから登場し囃子方の後方に座ります。囃子方は、翁では笛一、小鼓三という特殊な編成で三番叟ではこれに大鼓が加わります。
颯爽たる千歳の舞に始まり、シテは舞台上で面をかけ、荘重な翁の舞が続きます。シテが観客の前で面をかけ、また外すことは他の能ではありません。翁は舞が終ると、千歳を従えて退場します。そのあと狂言方の三番叟が<揉之段>と、黒色尉の面をかけ鈴を振りながら舞う<鈴之段>の二つの、いかにも生命の躍動といった感じの力強い舞を舞います。(「宝生の能」平成13年1月号より)
「翁」は上記のとおり他の曲と異なり一種の神事のため、筋書きも無いし謡蹟を特定するのも困難である。参考までに謡本から第1日目の文言を掲げてみる。
翁 とうとうたらりたらりら。たらりあがりいららりどう。
地 ちりやたらりたらりら。たらりあがりららりどう
翁 所千代までおハしませ
地 我等も千秋さむらハふ
翁 鶴と亀との齢(よわい)にて
地 幸(さいわい)心に任(まか)せたり
翁 とうどうたらりたらりら
地 ちりやたらりたらりら。たらりあがりららりどう
千歳 鳴るハ瀧の水。鳴るハ瀧の水日ハ照るとも
地 絶えずとうたり。ありうどうどうどう
千歳 絶えずとうたり。常にたうたり(千歳の舞)
千歳 君の千年を經ん事も。
天津をとめの羽衣よ。鳴るハ瀧の水日ハ照るとも
地 絶えずとうたり。ありうどうどうどう
翁 総角(あげまき)やとんどや
地 ひろばかりやとんどや
翁 座して居たれども
地 まゐらふれんげりやとんどや
翁 千早振(ちはやふる)。神のひこさの昔より。久しかれとぞ祝ひ
地 そよやりちや
翁 およそ千年の鶴ハ。萬歳楽(ばんぜいらく)と歌うたり。
また萬代(ばんだい)の池の亀ハ。甲(こう)に三極(さんきょく)を戴き。
渚(なぎさ)の砂(いさご)さくさくとして朝(あした)の日の色を朗じ。
瀧の水冷々と落ちて夜の月鮮やかに浮んだり。
天下泰平国土安穏。今日(こんにち)の御祈祷なり。
ありハらや。なじょの。翁ども
地 あれハなじょの翁ども。そやいづくの翁どうどう
翁 そよや(翁の舞)
翁 千秋万歳(ばんぜい)の。悦びの舞なれば。
一舞まハふ。萬歳楽
地 萬歳楽
翁 萬歳楽
地 万歳楽
以上のように謡蹟を特定するのは困難なので、「翁」の能面の写真と、能「翁」を観た感想を掲げることとする。
何か「翁」の写真を是非掲げたいと思っていたが、平成9年、渡雲会の六十周年記念の時の記念誌に「翁」の写真があったのを思い出し、これを掲げさせていただいた。記念誌の編集後記には次のように記されている。
「六十周年に相応しいものとして、「翁」の面を取上げることと致しました。写真の「翁」の面は(日光作)寶生家本面として、代々伝えられている面であります。現存する「翁」の面としては、最古のものと伝えられています。(撮影は亀田邦平氏)」
「翁」の能面 日光作 寶生家蔵 亀田邦平氏撮影
宝生流の月並能では毎年1月に「翁」を出しているので、何回か拝見する機会を得た。普通の能と違ってまさに神事という感じ。この時ばかりは能が始まると入口の扉が閉められ、終るまで中に入ることは許されない。面箱を恭しく持って出ること、舞台の上で面をつけること、地謡が囃子方の後ろに座ること、小鼓が三名いること、「とうとうたらり」の言葉の意味も、いろいろ説があるようだがよく分からないこと等々、すべて異例のことばかりである。
本年は「竹生島 翁附之式」ということで、宝生英照宗家のシテで、「翁」と「竹生島」が一緒になったような珍しい能を拝見することが出来た。