源頼朝は工藤祐経その他の家臣を従えて箱根権現に参詣した。河津三郎の子箱王丸はこの寺の別当に連れられて頼朝一行を迎えた。箱王は別当に、頼朝はじめ重臣の名を次々にたずねていき、工藤祐経の名を聞くや顔色を変える。箱王丸は眼前に父の敵を見て復讐の心やみがたく、憎しみのまなざしで祐経を見ていると、祐経は箱王丸を近く招き寄せ、世間でそなたの父の敵はこの祐経などと言っているようだが、自分の仕業ではないと説明する。
けれども箱王丸は恨みの心晴れがたく、祐経の帰る姿を見てたまりかね、敵を討つのはこの時と同輩の太刀を盗みとって後を追う。別当はこれを押しとどめ、別当の坊に連れ帰る。
やがて別当は多くの僧を引き連れて護摩檀を設け、祐経の形代(人形)を作って調伏の祈りを始める。精魂を傾けて祈願すると、不動明王が護摩の煙、不動の火焔の中に現れ、形代の首を切って剣の先に貫き通した。この調伏祈願の功徳で、遂に箱王丸も敵討ちの本望を遂げたのであった。(「謡本」を要約)
曲中「箱根寺」「箱根権現」とあるのは現在の箱根神社である。箱王が修行したところで、 神社の宝物殿には十朗、五郎の木像が保存されている。
また、箱根神社本殿に上がる正面石段の中程左側に曽我神社という小さな祠がある。境内には曽我神社造営之碑が建っているが、これによると、平成5年に曽我兄弟800年を記念して奉賛会を組織して拝殿を建立、境内整備、武道場の建設等を行ったとのことである。神社の左前方には兄弟杉という杉の巨木のキ切株があるが、五郎はこの杉を相手に剣の腕を磨いたという。
曽我兄弟に関する謡蹟については、「小袖曽我」「夜討曽我」「禅師曽我」も参照願いたい。
箱根神社 (平8.5)
曽我神社 (平8.5)
曽我神社造営之碑 (平8.5)
兄弟杉 (平8.5)
箱根神社宝物殿 (平8.5)