本堂石段

謡蹟めぐり  鞍馬天狗 くらまてんぐ

ストーリー

ここは花盛りの京の鞍馬山。東谷の僧正は子供達を連れ花見に出掛けます。一同が桜の下で興じていると怪しげな山伏がその席に割って入り、団欒を乱してしまいます。僧正は能力の立腹を止め、花見は明日にしようと言い子供達を連れ帰ります。ところが一人だけ帰らぬ子があります。これこそが源義朝の子沙那王です。二人は暫く一緒に花見をしますがやがて山伏は自分が鞍馬山の大天狗であることを明かし、翌日兵法を授ける約束をして立ち去ります。
沙那王はその翌晩武装して天狗の出現を待ちます。まず先に来た小天狗を打ち散らすと、大天狗が現れ兵法の秘伝を教えます。そして源氏の再興を予言して立ち去ろうとしますが、沙那王は天狗の袂を捕らえて放しません。大天狗も名残を惜しみつつ終生の弓矢の力添えを誓い梢の奥に消えます。(「宝生の能」平成 12年4月号より)

鞍馬山を歩く 京都市左京区鞍馬本町 (平7・10記)

昭和59年3月、長女・長男と鞍馬寺に参詣し、貴船まで歩こうとしたのだが、雪のために果たせなかった鞍馬山散策。10年近くを経過して平成5年11月ようやく念願を果たすことができた。今回は一人旅である。京都は賀茂川べりの出町柳駅から叡山電鉄鞍馬線に乗ると、約30分で終点の「鞍馬」駅に着く。ここはもう都塵を離れた別天地である。

鞍馬寺山門

駅を出て大勢の参詣客のあとに従って歩くと間もなく石段の向こうに鞍馬寺の山門(仁王門)が見えてくる。華麗な山門が周囲の杉木立や美しく、紅葉した木々と調和して美しい。山門を越えると右手に鞍馬山ケープルの山門駅があるが、意識して九十九折り坂を歩いてのぼる「つづらおり参道」を選ぶ。

鞍馬寺山門 鞍馬寺山門 (平5.11) 華麗な山門が周囲の紅葉と調和して美しい

東光坊跡、義経供養塔、稚児桜の碑、由岐神社

つづらおり参道を行くと、天をつく老杉がひしめきあい昼なお暗く、数百年の歴史の彼方に連れ戻されたような感じがする。牛若丸が出てきてもおかしくない雰囲気と思っていたら案の定「東光坊跡」と「義経供養塔」の立て札が見えてきた。牛若が遮那王と名乗り、ここ東光坊で7歳ごろから16歳の春までの約10年間、ここで学問や武芸に励んでいた。このあたりが本曲のワキの住む東谷または鞍馬の谷である。義経供養塔はこの地に、多くの信徒の協力によって昭和15年、紀元2600年記念事業の一つとして建てられた由である。
近くにある「稚児桜の碑」は菊武祥庭大検校作曲の箏曲「稚児桜」作曲25周年を迎えた昭和12年、門弟の方々によって建立されたもので、牛若丸が五条の橋の上で弁慶を服従させた故事を讃えたものとのことである。
義経供養塔や稚児桜の碑の左手には鞍馬の火祭りで知られる由岐神社がある。

東光坊跡 東光坊跡 鞍馬寺 (平5.11) 牛若丸はここで学問や武芸に励んだ

義経供養塔 義経供養塔 鞍馬寺 (平5.11) 信徒の協力で昭和15年に建てられた

稚児桜碑 稚児桜の碑 鞍馬寺 (平5.11) 牛若丸が五條の橋で弁慶を服従させた故事を称える

由岐神社 由岐神社 鞍馬寺 (平5.11) 鞍馬の火祭りで知られる

鞍馬寺本堂、雲珠桜

つづらおり参道を登りきると本堂の石段の前に出る。この季節、紅葉がひときわみごとであった。石段を登ると朱塗りの柱の色彩も鮮やかな本堂である。案内書によると、三身一体の鞍馬山尊天(千手観世音菩薩・毘沙門天王・護法魔王尊)を奉安して、これを宇宙エネルギー・宇宙生命のあらわれとして尊崇する鞍馬山信仰の中心道場とのことである。
木本氏の本によると、本堂の前にはこの曲で謡われる「雲珠(うず)桜」があるというので探してみた。本堂右側に「キブネウズ(貴船雲珠) 佐野嘉右衛門氏寄贈によるものです。」と書かれた真新しい立て札があって一本の桜の木がある。木本氏の写真と違うようだが、木本氏が昭和42年に撮影した写真にも、「献木 雲珠桜 京都嵯峨 佐野嘉右衛門」と読める立て札があるから、私が見たのはあるいは二代目かも知れない。

本堂石段 鞍馬寺本堂前の石段 (平5.11) 紅葉がひときわ美しかった

鞍馬本堂 鞍馬寺本堂 鞍馬寺 (平5.11) 朱塗りの柱の色も鮮やか、鞍馬山進行の中心道場

うずざくら 雲珠桜 鞍馬寺本堂 (平5.11) 本堂前に本曲で謡われる雲珠桜がある

義経公息次ぎの水、義経公背比べ石、僧正ケ谷、義経堂、奥の院魔王殿、鞍馬寺西門

本堂から霊宝殿(鞍馬山博物館)をへて中門をくぐると、道幅も狭くなり、薄暗い原生林となるが、このあたりが本曲の舞台となる。

「義経公息次ぎの水」  牛若丸が毎夜奥の院僧正ケ谷へ剣術の修行に通ったとき、この清水を汲んで喉をうるおしたといわれ、800年後の今も湧き続けている。 
「義経公背比べ石」  ここで修行し、奥州へ下ることとなった16歳の牛若丸が、名残りを惜しんで背比べをした石である。
「僧正ケ谷」  本曲の鞍馬天狗と牛若丸が出会い、武芸を習ったという所である。
「義経堂」  奥州衣川の合戦で自害したと伝えられる義経公の霊は、この山へ帰ってきて、今は遮那王尊として魔王尊のおそばに仕えているという。
「奥の院魔王殿」  ここには、650万年の昔、金星から地球の霊王として天降った魔王尊を奉安している。
「鞍馬寺西門」  ここまでが鞍馬寺の境内で、この門をくぐって橋を渡ればすぐ貴船神社である。

息継ぎの水 義経公息継ぎの水 鞍馬寺 (平5.11) 牛若丸が僧正ケ谷に通う時この清水で喉を潤した

背くらべ石 義経公脊比べの石 鞍馬寺 (平5.11) 奥州へ下る時名残りを惜しみ背比べをした石

僧正ケ谷 僧正ケ谷 鞍馬寺 (平5.11) 天狗お牛若丸が出合い武芸を習ったところ

義経堂 義経堂 鞍馬寺 (平5.11) 義経の霊はこの山にかえり魔王尊のそばに仕えている

魔王殿 魔王殿 鞍馬寺 (平5.11) 金星から天降った魔王尊を奉安している

鞍馬西門 鞍馬寺西門 鞍馬寺 (平5.11) この門をくぐればすぐ貴船神社である


−ニュース−

曲目一覧

サイトMENU

Copyright (C) 謡蹟めぐり All Rights Reserved.