謡蹟めぐり  鶴亀 つるかめ

ストーリー

時は八世紀の始め、唐の玄宗皇帝の御代です。今日は四季の節会(せちえ)の事始めとあって、皇帝は月宮殿へ行幸になり、鶴亀の舞やその他もろもろの御遊が催されるので、みな宮中に参内せよとの御布令が出されます。
さて宮中の最初の儀式はまず天子が不老門にお出ましになり、国民の礼拝を受けることに始まり、やがて大臣が君の御前に伺候して毎年の嘉例として鶴と亀とに舞を舞わせ、それが済んだら月宮殿において舞楽を遊ばすようにと奏聞します。鶴亀は勅命によって庭上にならんで舞を舞い、千年万年の長寿を君に捧げて祝います。皇帝はこれを嘉し給い、御自ら立って舞楽の秘曲を奏して寿ぎます。山河草木、国土万民をあげて、太平の御代の幾久しく栄え給えとよろこび謳う声々のうちに駕輿丁(かよちょう)は君の御前に輿をすすめ官人はそれに供奉して、天子は長生殿に還幸されます。(「宝生の能」平成13年2月号より)

書籍、インターネットで探る謡蹟「鶴亀」 (平19・2記)

「曲江池」 西安市の南5キロ − 小倉正久著「謡曲紀行」(白竜社刊)

要点のみを抜粋させていただく。

「 曲に謡われている場所は、唐長安城の東南角にあった曲江池(きょっこうち)という離宮である。西安市の南5キロにあり、唐代の王侯貴族が遊んだ人工の池の離宮であった。・・現在は麦畑のなかに「曲江池」を示す遺跡の標示が残されているに過ぎない。 」

「 玄宗皇帝は歴代皇帝が住んだ大極宮や大明宮に住まなかった。政務の多くを執っていたのは興慶宮。曲江池の宴から還御した長生殿というのは、唐の太宗が驪山(りさん)の離宮に建設した宮殿であり、名を玄宗が華清池と改め、楊貴妃と遊楽に耽ったことで有名である。曲では長生殿を月宮殿にみなしている。 」

インターネット 中国の古都西安の謡跡探訪

http://otsubo.info/s_contents/china-chuden.html

「 九月中旬、中部電力謡曲部の現役およびOB12名からなるグループの一員として、6日間の行程で中国西安市近傍の謡跡を訪ねた。
中国の謡跡についての、先輩諸賢の資料を参考にさせていただいて作った、我々の手作りの旅であった。
まず皮切りは、有名な兵馬俑を見た帰り道に、楊貴妃と玄宗皇帝とが愛の日々を送った温泉別荘地、華清池に立ち寄った。池の中の亭に通ずる石橋の上で「楊貴妃」の一節を吟じた。
平日の昼前であったが、我々が謡い終わると、大勢の地元観光客の中から拍手が起こり団員一同を喜ばせた。
次に、西安市に帰り、市内の興慶宮を訪ねた。ここもまた先の2人が暮らした宮殿の跡である。50歳代後半の玄宗皇帝が、34才も年下の楊貴妃にかけた想いの激しさは、1200年を経た今も語り継がれ、今後も人間の歴史から消える日はないであろう。
ここには日本からの観光客用であろうが、かの李白が阿部仲麿呂の死を悼んだ漢詩を刻んだ碑がある。かっての宮殿の跡の「池の汀」で、「鶴亀」全曲を謡った。
先程まで、しつこく付き纏ってきた物売りたちが、これはちょっと違った人種だと思ったのか、退散したのは有難かった。」


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