鏡山より松浦川

謡蹟めぐり  籠太鼓 ろうだいこ

ストーリー

九州松浦の何某は、他郷の者と口論の末に殺害に及んだ家人、関清次を牢に閉じ込めますが、清次は牢を破って逃げてしまいます。そこで清次の妻が引き立てられ、夫の行方を厳しく詰問されます。しかし女が知らないと言い張るので、松浦は業を煮やして彼女を夫の代わりに牢に押し込めてしまいます。
見張りの者は、牢の傍らで一時(ひととき)ごとに太鼓を打って番をしています。ところが、女が狂気を起こしたようなので松浦が牢から出してやると、女はそこに掛けてあった太鼓を見つけて夫への想いを鼓に託して打ち、心も激しく乱れ舞います。そして、懐かしいこの牢を離れないと再び牢へ入ってしまうので松浦はその心情を哀れに思い、つにに夫婦ともの罪を許すことを約束し、神明に誓います。すると女は冷静になって初めて夫の居所を明かし、自ら夫を連れ戻して仲睦まじく暮らします。(「宝生の能」平成13年5月号より)

松浦の里を訪ねて   (平19・8記)

関清次の墓が佐賀県浜玉町(現在唐津市)岡口にあると知って数年前に訪ねたことがあったが、その時は結局見つけることが出来なかった。
今回インターネットで調べてみると、「関の清治」の五輪塔が岡口橋の袂にあるようで、その伝説も謡曲のものとは異なり、次のように記されている。

「 関の清治は大村の里(現在の五反田地区)豪族であるが、親友の浜窪治郎の密告のため牢獄に繋がれた。強力な彼は、牢を破って脱出し行方を暗ました。探索の手は厳しく、妻は狂死し、子は舌を噛み切って息たえた。これを聞き清治は自首して出たが、領主は妻子の者どもが死に至るまで清治の所在を白状しなかった貞節と孝行を称えて、その罪を許した。哀惜の情にたえず、清治は自らの刃に伏してその後を追った。時人塔を建てて霊を弔った。程なくその側に一本の松が芽生えた。葉が三つあるので「三つ葉の松塚」「関清治松」と言う。 」

浜玉町の歴史と伝説
http://www.hhc.ne.jp/hamatama/information/rekisi/rekisi.htm

浜玉町は唐津市に隣接し、佐用姫伝説で有名な領布振山(鏡山)も近い。佐用姫伝説は「俊寛」の項で説明したのでそちらを参照願いたい。鏡山からは本曲にも謡われる「松浦川」も望むことが出来る。

また、清次の墓を訪ねる際に思いがけず、玉島神社の近くで神功皇后が、 新羅出兵の時に玉島川で釣りをされ、戦勝を占ったという「神后御立岩」を発見した。
皇后はこの岩の上に登り、針を曲げて釣針を造り飯粒を餌として「この度の戦さ我に運あらば釣針を呑め」と勝敗を占ったところみごとな鮎がつれたという。そこで鮎という字は、この地で生まれたと言われている。この時皇后はその魚を「めづらしき物」と仰せられ、この故事によりこの地を梅豆羅国(めづらのくに)といい、それが訛って松浦(まつら)になったと言われる。

鏡山より松浦川 領布振山(鏡山)より松浦川、虹の松原を望む 唐津市 (平11.11)

御立岩 神后御立岩 佐賀県浜玉町 (平11.11)

御立岩と玉島川 御立岩と玉島川 佐賀県浜玉町 (平11.11)


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