日向国宮崎の神官、藤原興範は伊勢神宮参拝の途中、須磨浦で老樵夫に出会います。老翁は須磨の山陰にある光源氏の旧跡で若木の桜を眺めています。興範が光源氏について尋ねますと、老翁はむかしのことを話せば涙がこぼれるであろうと独り言を言いながら、かの光源氏の生涯について詳しく物語ります。そして自分こそはその源氏物語の主人公であると明かすと、雲に隠れてしまいます。
興範は驚きながらも今宵はここにいて奇特を拝もうと旅寝をしていると、やがて音楽とともに光源氏が月の光を浴びながら雅やかな姿で現れます。源氏は青純の狩衣をたおやかに着て、青海波の遊楽に引かれて舞を舞うと、須磨はもとの住みかであり、自分は衆生を助けるために天下ったのであると告げ、衣ずれの音をさせながら明け初めた春の空に姿を消して行きます。(「宝生の能」平成13年5月号より)
須磨寺については「敦盛」の項で触れたが、この寺の本堂前石段の下に源氏物語須磨の巻により光源氏の手植えと伝えられる「若木の桜」がある。
須磨寺 神戸市須磨区須磨寺町 (平2.5)
若木の桜 須磨寺境内 (昭61.9)
光源氏が謫居した所と伝えられる。境内には「源氏寺」の刻んだ大きな石碑が建っており、石碑の裏面には「源氏物語、須磨の巻の一節」および「光源氏が京より移り住んで、わび住まいしたところと、古来より語り継がれている」の文言が記されている。また、謡曲史蹟保存会の「謡曲「須磨源氏」と現光寺」なる駒札も立てられている。
現光寺 神戸市須磨区須磨寺町 (平12.9)
源氏寺碑 現光寺 (平12.9)
源氏寺碑の裏面 現光寺 (平12.9)
謡曲「須磨源氏」と現光寺の駒札 現光寺 (平12.9)
本曲のワキが神官をしていた宮崎神宮は宮崎市にあり、神武天皇を祀る。天皇はこの地で15歳の時皇太子にお立ちになり、45歳の時、天下を恢弘せんとして、皇兄群臣とともにこの地を出発され東遷の途に上られた。数々の苦難の後大和地方を平定、畝傍橿原の地にて第一代の天皇に即位され、わが国建国の基礎を築かれた。
宮崎神宮 宮崎市神宮 (平7.11)