雲巌禅寺

謡蹟めぐり  檜垣 ひがき

ストーリー

肥後の国岩戸という山で、霊験あらたな観世音を信仰し、またこの地の美しい景色を楽しみながら3年の間山籠りしている僧があった。この僧のもとに何処からともなく、閼伽(あか)の水を捧げにくる百歳に近い老婆があった。僧は常々不審に思っていたので、一日老婆に向かって名を尋ねると、彼の後撰集の歌に、「年ふればわが黒髪の白川のみつわくむまで老いにけるかな」と詠んでいるのは自分の歌であると答えた。
さてはその昔筑前の太宰府に庵を結び、檜垣をしつらえて住んでいた白拍子、後には衰えてこの白川の辺りで果てたと聞いているその女の霊なのかと、僧はまことに奇異の思いをしたのである。老婆はありし日、藤原典範に水を乞われた時のことを語り、そのしるしを見たければ、白川の辺りで我が跡を弔ってたまわれといいおいて姿を消した。
僧はすぐに白川のほとりに赴きねんごろに読経していると、先の老婆が再びあらわれて、弔いを喜ぶように、昔水を汲み、舞を舞った時のありさまをみせ、なおも弔ってわが罪を うかめてくれとたのみ、姿かすかに帰り去るのであった。(謡本より)

岩戸観音(雲巌禅寺) 熊本市松尾町岩戸 (平10・5記)

雲巌禅寺が本曲前段の舞台である。岩戸観音とは霊巌洞に安置されている石体四面の観音のことである。伝説によると「昔、石体四面の観音が異国から渡来される時、船頭が楫をあやまって船を覆してしまった。しかし霊像は板に乗って無事着岸された。その板に乗られたところを「板迫」といい、着岸の地を「仏崎」と名づけた。また、その時の船頭は船を覆した罪をおそれて石となった。それが今の洞内にある船頭石であり、潮の満干を知らせるという。」とある。

雲巌禅寺 雲巌禅寺 (平3.10)

本曲のシテ檜垣の媼は岩戸観音への信仰があつく、白川の水を汲んでここに日参したという。
また、霊巌洞は剣聖宮本武蔵が参籠し、「五輪書」を書き始めたところといい、寺の宝物館には武蔵自画像、小次郎と決闘したときの木剣等が保存されている。

岩戸観音 岩戸観音 (平3.10)

蓮台寺(檜垣寺)  熊本市蓮台寺町 (平10・5記)

本曲後段の舞台、つまり檜垣が住んでいた所は熊本市内の蓮台寺である。前には白川が流れ、この水を汲んで岩戸まで運んだ訳である。山坂もある8キロの道を百歳の老婆が毎日運んだというから驚きである。

蓮台寺 蓮台寺(檜垣寺) (平3.10)

白川 白川 (平3.10)

この寺を訪ねた時、檜垣を思わせる老婆があらわれ、わざわざ檜垣の塔、檜垣の井戸を案内してくれた後、檜垣の像まで拝観させて下さった。まことに心あたたまる思いで寺を辞したことを思い出す。
蓮台寺は第65代花山天皇(984〜986)の時代に閨秀歌人檜垣がこの付近に草庵を結んで住み、観音菩薩像を安置し、信仰三昧の生活を送ったのが寺の始まりといわれる。

檜垣の塔 檜垣の塔 (平3.10)

檜垣の井碑 檜垣の井碑 (平3.10)

檜垣の塔は、古雅な趣を備えた塔である。加藤忠広公の手で一時、熊本城内の庭に移されたことがあるが、細川忠興(三斉公)がこの塔を見覚えていて、城内に取り寄せてあるのは、名媼の遺跡を傷つけるものとして再び、蓮台寺に返還されたと伝える。
檜垣の井戸は岩戸観音への信仰厚い檜垣がこの井戸の水を汲んで日参したという。傍らに檜垣の井碑も建ち漢文が刻まれているが私には読めそうもない。
檜垣の像は立て膝姿でその彩色は褪せているものの閨秀と謳われた者の晩年の美しさと品位をたたえ、優雅な中にも、老残の悲しみが見る者の胸を打つ。

檜垣の井戸 檜垣の井戸 (平3.10)

檜垣像 檜垣の像 (平3.10)


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