時の天皇に仕える臣下は、ある日思い立って京都の西山、松尾の明神に参詣する。山の姿や社殿を眺めていると、たまたま一人の男を連れた老人が現れ、ねんごろにいろいろと明神の御神徳を説き聞かせる。そして今日参詣して下さってまことに有難い、是非今宵の夜神楽と拝んでほしいと言って姿を姿を消した。
夜になって臣下が待っていると、松尾明神が現れ神舞を舞い千代万代までも幾久しい目出度い御代を寿ぎ、再び姿を消すのである。(謡本を意訳)
舞台は松尾大社である。この社は賀茂神社と並び京都最古の神社といわれる。現在の松尾大社の後方にある松尾山中頂上近くにある巨岩を信仰の対象とし、一帯の住民の守護神としたのが神社の起源とされているようである。
朝鮮から渡来した秦氏がこの地に移住し、農業や林業を興したが、大宝元年(701年)に現在の地に社殿を建立し、一族が社家をつとめたという。
中世以降、醸造の神様として、全国の酒造家などから信仰を集めている。これは、天平5年(733年)に社殿背後より泉が湧き出たとき、『この水で酒を醸すとき福が招来し家業繁栄する』との松尾の神の御宣託があったことに由来しているという。社殿には沢山の酒樽が寄進されている。
また亀がこの社の神使とされ、松尾山から流れた渓流が「霊亀の滝」となり、霊亀の滝の近くに「亀の井」と名付けられた霊泉がある。酒造家はこの水を持ち帰り、醸造時に混ぜて使うという。また、この水は長寿の水として知られているようで、多くの人がこの水を汲みに訪れているようである。
松尾大社 京都市西京区 (平7.9)
霊亀の滝 松尾大社 (平7.9)
亀の井 松尾大社 (平7.9)
曲中に謡われる梅津は桂川を隔てた松尾大社の対岸で、ここにも酒造の神として名高い梅宮神社がある。神社の案内によると「木花咲耶姫は大若子神(瓊々杵尊)と一夜の契りでやがて小若子神(彦火火出見命)をおうみになった。そこで姫は歓喜して狭名田の稲をとって天甜酒(てんのうまざけ)を造り、これを飲まれたという神話から、当社は安産と造酒の神として古くから有名」とのことである。
梅宮神社 京都市西京区 (平7.9)