舞囃子養老

謡蹟めぐり  養老 ようろう

ストーリー

美濃国本巣の郡に霊泉が湧き出たとの奏聞を受けた雄略天皇は、勅使を実検に赴かせます。一行が養老の滝のほとりに着くと、ちょうど樵夫の父子が通りかかったので、勅使は養老の滝の名のいわれを尋ねます。
父子は宣旨に感激して、親孝行の徳が報いられてこの滝の霊泉が授けられたこと、これを飲むと心も勇み老いの養いとなったので養老と名付けたことを述べ、勅使をその滝壺に案内します。
すべてを見聞した勅使はその奇特に心を打たれ、急ぎ帰って奏聞しようと喜び勇んでいると、不思議にも天から光が輝き花が降り音楽が聞こえます。土地の者がやって来て滝の水を飲んで若返りの様を見せたあと、やがて養老の山神が出現します。そして泰平の世を讃え、君の八千代の栄えを祝って、谷川や嵐の音に合わせて舞を奏し、天上へと帰って行きます。(「宝生の能」平11.5月号より)

仕舞「養老」立ち往生  (平2・5記)

昭和61年10月、渡邊三郎先生の渡雲会秋期大会が、椎名町の観昭会館で開催され、仕舞「養老」を舞わせていただいた。
すべり出しは順調だったが、中程にさしかかった時、一瞬雑念が頭をかすめると頭の中がマッシロになった感じで、舞台のまん中で立ち往生してしまった。
先生が何かドナッテいるが、よくわからない。どこをどう回ったが覚えていないが、とにかく出発点に戻って来た。
先生は「稽古の時はよく出来ていたのにね・・」と慰めて下さったが、気分はスッキリしない。その夜の懇親会のお酒の味はホロニガかった。養老の瀧の水のように美味しい筈なのに。
短い曲だからと軽くみて、稽古をミッチリやらなかった罰と自戒したことである。

舞囃子「養老」  (平11・12記)

平成10年6月7日、渡雲会春季大会で、舞囃子「養老」を舞わせていただいた。囃子方は、大鼓 内田輝幸、小鼓 鵜沢洋太郎、笛 一噌庸二、太鼓 大江照夫の諸先生。地謡は今井泰男、寺井良雄、當山孝道、今井泰行の諸先生という豪華メンバーである。
当初、「高砂」を舞う予定で稽古が進んでいたが、途中で、太田典子さんが「高砂」を希望している由で、「高砂」と同じ神舞を舞う「養老」に変更してほしい旨、先生からお話があった。

「養老」は前に仕舞で失敗した経験があるので、あまり気乗りはしなかったが、一方今度こそはという気持にもなって、喜んでお受けすることとした。新しく文句も暗記しなければならないし、神舞はテンポが早いので、チョットでも間違うと元に戻すのが容易ではない。前回の徹を踏まぬよう一生懸命稽古をした。
その甲斐あってか、当日は大過なく舞い納めることが出来てほっとした。懇親会ではお酒は呑めないので、ウーロン茶をいただいたが、これが養老の水かと思うほど美味しかった。

舞囃子養老 舞囃子 「養老」 渡雲会春季大会 宝生能楽堂 (平10.6)

養老の瀧  岐阜県養老町(平19・7記)

養老の滝は岐阜県養老町にある。幅3メートル、高さ30メートルの美しい滝で、酒に変ったという泉は滝の下流にある「掬水泉」で、清冽な清水が湧き出ている。近くの養老神社は行幸された元正・聖武両帝を祀る。
また養老公園には養老伝説の孝子、源丞内の開いたという養老寺があり、その境内には源丞内の墓がある。
謡本では雄略天皇に仕える臣下が宣旨によってここを訪ねるのであるが、養老の年号はこれから250年も後の元正天皇の時で、元正天皇は二度までも養老の滝に行幸され、次代の聖武天皇も行幸された記録があるという。また、養老駅の近くには、本曲ツレの孝子源丞内の像が建っている。
元正天皇の御陵はまだ訪ねていないが、雄略天皇の御陵は大阪府の羽曳野にある。

養老の滝 養老の滝 岐阜県養老町 (平2.6)

養老神社 養老神社 岐阜県養老町 (平2.6)

掬水の泉 掬水泉 岐阜県養老町 (平2.6) 

養老寺 養老寺 岐阜県養老町 (平19.5)

源丞内の墓 源丞内の墓 養老寺 (平19.5)

源丞内の墓 源丞内の像 岐阜県養老町 (平2.6)

雄略天皇陵 雄略天皇陵 大阪府羽曳野市 (平10.9)


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