善知鳥沼

謡蹟めぐり  善知鳥 うとう

ストーリー

立山禅定を終えた旅僧が下山したところ、一人の不思議な老人に呼び止められます。老人は僧に箕の簑笠を渡し、もし奥州に行かれるのならばこれを、去年の秋に死んだ猟師の妻子に届けてほしいと頼み、証拠にと自分の着ていた麻衣の片袖を引きちぎって渡します。
奥州に下った旅僧は約束通り猟師の妻子を訪ね、立山で会った老人の片袖を渡します。すると、不思議にもかたみの着物には片袖がなく、持参した袖とびったり合うのです。妻子は驚きつつも、簑笠を手向けて僧と共に回向をします。すると、猟師の亡霊がやつれ果てた姿で現れ、わが子を懐かしがって近よろうとしますが、生前善知鳥の子鳥を捕って親鳥と引き離した報いで近づけません。猟師は殺生の所業のあさましさを物語り、生前のように鳥を捕るさまをして見せ、その報いの地獄の苦しみを見せて、救いを求め消え失せます。(「宝生の能」平成11年2月号より)

立 山    富山県立山町    (平成6・8記)

本曲前半の舞台は越中立山である。昭和59年8月松本方面から黒部ダムを経て立山を訪ねた。黒部ダムのあたりはまだ天気が良かったが、立山室堂平に到着した頃はガスがたちこめてきて立山の偉容は残念ながら見ることができなかった。
それでも室堂平から少し歩くと地獄谷を見ることができた。標高が高いせいか8月というのにところどころにまだ雪が残っている。硫黄の匂いが鼻をつく荒涼とした谷が続く。このあたりでワキの旅僧はシテの尉と出逢ったのであろうか。
今年の東北大会の際の観光で下北半島の恐山を訪ねた。ここもこの地獄谷と同じような光景である。恐山には死んだ者が集まると聞いたが、この曲によると立山も死者が集まる所のようである。みちのく外の浜の猟師ならば何故近くの恐山に行かないで、こんなに遠くのしかも標高三千メートルもある立山まで来たのだろうか。曲の名前といい、構想の雄大なことといい興味ある曲である。

立山地獄谷 立山の地獄谷 硫黄の匂いが鼻をつく 富山県立山町 (昭59.8)

外の浜と善知鳥神社  青森市     (平成6・8記)

外の浜

本曲後半の舞台はみちのく外の浜である。外の浜とは青森あたり一帯の浜をいうようであるが、往時は漁村で砂浜が続いていたのであろうが、現在の青森の港あたりはすっかり近代的に整備されて往時の浜辺を偲ぶことはできない。海底トンネルが完成し青函連絡船が廃止されてからは、連絡船八甲田丸は岩壁に係留されて展示館となり、海岸一帯は整備されて、ユニークな12階建ての三角形の観光物産館アスパムや、スマートなベイブリッジが建設され、「青い海公園」へと続いている。
海岸に出て、昔ながらの外の浜の風景を写したいと思ったが、この近くの歩ける範囲では絶望のようである。時間の制約で断念した。

外の浜 現在の外の浜風景 青森港はすっかり近代化されて往時の光景を偲ぶことはできない 青森市 (平2.10)

善知鳥神社

港のすぐ近くの安方町に善知鳥神社がある。ここの境内に「謡曲善知鳥之旧蹟」の碑があり、説明も添えられていたのでその内容を紹介しよう。

『    謡曲「善知鳥」とその「旧跡之地」碑
謡曲「善知鳥」は、殺生の罪を犯した漁師が地獄で責めたてられる苦患の有様を見せる執心の夢幻能である。
その漁師は奥州外が浜の者で、立山の凄惨の地獄に堕ちていたが、外が浜一見の旅僧に囘向を乞うて故里の妻子の前に現われ、我が子を見て子鳥を殺した罪の恐ろしさを悔い、化鳥にさいなまれる苦しみの仕型を見せて更に囘向を頼んで消えて行く。善知鳥と言うのは彼が常に捕っていた鳥の名なのである。
    「 陸奥の外が浜なる呼子鳥  鳴くなる声はうとうやすかた 」
という主題歌は定家の歌と伝えられている。
善知鳥神社の社殿近くに「謡曲善知鳥旧跡之地」という碑がある。安潟と呼ばれた大きな湖沼のあとが現在の安方町であり、神社を囲む池を善知鳥沼と呼ぶなど、昔、此の地を「善知鳥の里」と言った名残を示す碑である。
           謡曲史跡保存会        』

また、善知鳥神社の由緒には次のように記されている。

『       善知鳥神社の由緒
善知鳥神社は現在の青森市が昔、善知鳥村と言われた頃、奥州陸奥の国外ケ浜鎮護の神として、第十九代允恭天皇の御世に日本の国の総主祭神である天照坐皇大御神あまてらしますすのおおみかみの御子の三女神を善知鳥中納言安方が此の北国の夷人山海の悪鬼を誅罰平定し、此の地を治めその神願霊現あらたかな神々を祭った事に由来している。又善知鳥中納言安方は此の地の人々に初めて漁猟と耕作を教え、此の辺一帯が今日のように発展したのは安方の聡明なる知恵と才能の勇気が、神々の御意に叶い人々に慕い仰がれる所以となったと言われている。爾来此の善知鳥神社は青森の発祥の地として長い間連綿として敬神祟祖の信仰が受け継がれている。・・後略・・  』

善知鳥神社で求めてきた「善知鳥神社社誌(抄)」はB5版77ページの書物である。安方中納言のことや善知鳥のことも詳細に記述してあるが、長くなるので省略する。

善知鳥神社 善知鳥神社 善知鳥中納言安方が宗像三女神を勧請したという 青森市安方町 (平4.10)

善知鳥碑 謡曲善知鳥之旧蹟之碑 善知鳥安方謫居の跡 善知鳥神社境内 (平4.10)

善知鳥沼 善知鳥沼 善知鳥神社境内にある美しい沼 (平4.10)

錦木之塚  青森市久栗坂  (平成6・9記)

青森市街から浅虫に向かう国道に沿って進むと久栗坂の地点に錦木之塚がある。謡曲に「錦木」という曲があるが、この曲とは関係なさそうで、善知鳥安方の妻の錦木が夫のあとを慕ってここまで来て病歿し、村人が憐れんで埋葬した墓であるという。

錦木の塚 錦木の塚 善知鳥安方の妻錦木の墓という 青森市久栗坂 (平4.10)

籬が島、千賀の塩釜、松島、雄島、末の松山、沖の石、箕面の滝 (平13・2記)

曲中に謡われる地名である。「融」「砧」等にも歌枕として使われているが、訪ねたことがあるのでその写真を紹介する。

籬が島 籬が島 塩釜市魚市場近くの島、朱塗りの橋がかかる 塩釜市 (平2.6)

千賀の塩釜 千賀の塩釜 塩釜神社から海岸を望む 塩釜市 (平2.6)

松島 松島 景勝の地として有名 宮城県松島町 (平2.6)

雄島 雄島 松島海岸駅近くの島、橋でつながる 宮城県松島町 (平2.6)

末の松山 末の松山 砧の曲にも出てくる 宮城県多賀城市八幡 (平2.6)

沖の石 沖の白石 伊達藩主はこの奇観を愛し保護したという 宮城県多賀城市 (平2.6)

箕面の滝 箕面の滝 西国札所勝尾寺参詣の折訪ねる 大阪府箕面市 (昭60.9) 


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