謡蹟めぐり  皇帝 こうてい

ストーリー

唐の玄宗皇帝は寵姫楊貴妃の病を心配して、深夜独り淋しくおぼろの月や鳴きわたる雁の姿を眺めていた。そこへ忽然として一人の老翁が現れ、われは高祖の皇帝の御代に及第出来なかったため、玉階に頭を砕いて死んだ鍾馗であるが、その後贈官の恩典に浴したので、この御恩に報ずるため、貴妃の病を癒し申そう、明王鏡を病者の枕辺に立ておき給うならば、必ずもとの姿を現して病魔を退治せんといって姿を消した。
玄宗は貴妃の病床を訪れてこれを慰め、枕もとに明王鏡をすえると、風も凄まじく鏡の中に鬼神の姿が現れた。帝は剱を抜いて立ち給うと病鬼の姿は消え失せた了った。やがて曇る空晴れ、空中に光かがやいて、鳴動するかと思うと鍾馗の精霊が虚空をかけって参内して来た。悪鬼はこれを見ると驚き隠れたが明王鏡に向えばその姿は隠れることも出来ず、通力を失って走り出たところを斬りつけ、これで貴妃も息災となられようと玉体を拝し、夢のように消えて行った。(宝生流「旅の友」より)

玄宗皇帝、楊貴妃と長恨歌     ( 平14・8記)

この曲も滅多に謡われずまた能を見る機会にも恵まれない。従ってこの曲に関する思い出も特にないので、この曲の字句にも引用されている白居易の「長恨歌」の一部を取り上げてみることとする。
長恨歌は白居易が玄宗と楊貴妃との悲恋を歌いあげた一大長編叙事詩である。120句、840字より成る長い詩なので全部を紹介するのは困難であるが、最初と最後のところの読みと意味を取り上げてみたい。(角川書店 中国名詩観賞辞典による)

1 漢皇 色を重んじて 傾国を思ふ
2 御宇 多年 求むれども得ず
3 楊家に女有り 初めて長成す
4 養はれて深閨に在って 人未だ識らず
5 天生の麗質 自ずから棄て難く
6 一朝 選ばれて 君王の側に在り
7 眸を回らして 一笑すれば 百媚生じ
8 六宮の粉黛 顔色無し

1 唐の玄宗は、女の容色を第一と考えて、絶世の美女をと思い
2 天下を治めること多年、これぞという美人は得られなかった
3 時に楊氏の家に一人の娘がおり、やっと一人前に成長したが
4 何分にも深窓に育てられていたので、まだ人の知るところとならなかった
5 しかし、もって生まれた美貌が、世に知られずに埋もれるはずはなく
6 たちまち選び出されて、君主のお側近く使える身となった
7 ふりむいてひととびにっこりと笑えば、こぼれるばかりの魅力が生じ
8 後宮の美女たちも、問題にならなかった


113 別れに臨んで 殷勤に 重ねて詞を寄す
114 詞中に 誓ひ有り 両心のみ知る
115 七月七日 長生殿
116 夜半 人無く 私語の時
117 天に在っては 願はくは 比翼の鳥と作らん
118 地に在っては 願はくは 連理の枝と為らんと
119 天長 地久 時有ってか尽くるも
120 此の恨みは 綿綿として 絶ゆる期無からん

113 いよいよお別れをする段になって、ねんごろに品物に加えて伝言の言葉を頼む
114 その言葉の中には、誓いの言葉があって、玄宗と貴妃の二人だけが心にひめていたものであった
115 すなわち、天宝十年の名もゆかしい七月七日の七夕の晩、長生殿において
116 夜もふけてあたりに人影も無くなった時に、ささやきかわした言葉
117 「 天にあって空飛ぶ鳥と生まれかわるなら、比翼の鳥となろう
118 もしまた、地に生えて木となるなら、連理の枝とてなって、生々死々に決して離れまい 」という約束あった
119 天地は悠久ではあるが、いつかは滅び尽きる時があるかもしれない
120 しかし、この玄宗と楊貴妃との相思離別の恨みは、いつまでも長く続いて、絶える時期とてないであろう

玄宗皇帝、楊貴妃、白居易の謡蹟       (平14・8記)

中国の謡蹟はまだ訪ねていないが、ガイドブック等で調べたものを列挙してみる。

興慶宮公園  西安市

園内には玄宗皇帝と楊貴妃が遊んだ沈香亭、玄宗と兄弟たちが宴会を開いた花萼相輝楼などの建築物が再建されており、玄宗が政務を執った勤務本楼遺址も残っているという。
また、遣唐使に選ばれこの地に渡り、帰国の望みこそはたせなかったものの、唐朝で高官となり、73歳でこの地に没した阿部仲麻呂の記念碑が建てられているという。

花清池 西安市

玄宗と楊貴妃のロマンスでも有名で、楊貴妃はこの温泉で美しい肌にみがきをかけた様子は長恨歌にも詠われている。敷地内にある御湯遺址博物館であ、楊貴妃が使った海棠湯をはじめ、蓮花湯、太子湯、尚食湯、星辰湯など温泉の跡を見ることが出来るという。

楊貴妃の墓 西安市の西60キロ 興平市馬嵬鎮

玄宗皇帝は安禄山の乱を逃れ、楊貴妃を伴って長安をあとにし、蜀(四川)へ向かった。しかし、途中部下や軍馬が動かなくなり、やむなく乱の原因となった貴妃一族を抹殺するため、涙をのんで貴妃をここ馬嵬坡で縊死させたという。
以前は土の塚だった楊貴妃の墓だが、その土が美容効果があるとされ、多くの人が持ち帰り、土はまたたく間に減ってしまった。そのため、現在の楊貴妃の墓は、塚の消滅を防ぐためブロックで固められているという。

白居易の墓 洛陽市香山琵琶峰

三大石窟の一つに数えられる竜門石窟の東側、香山琵琶峰上にある。白居易は晩年ここに居をかまえ、みずから香山居士と称した。代表作に「長恨歌」「琵琶行」などがある。


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