謡蹟めぐり  卒都婆小町 そとばこまち

ストーリー

高野山の高僧が都へ上る道すがら、道端の朽ちた卒都婆に腰をおろしている乞食のような老婆を見て、卒都婆は仏体そのものを現しているので、他の場所で休むように諭します。ところが老婆は僧の言葉に一つ一つ反論を加え、迷悟は心の問題で、世界は本来無一文と気付けば仏も衆生も隔たりはないのだと論破するので、僧は悟り深い乞食だと恐れ敬います。
名を尋ねると、実は小野小町だと言います。才色兼備で世の男性たちを魅了した小町も今は乱れた白髪に破れ笠を頂き、汚れた袋を首に掛けて人に物を乞う身の上です。
そのうち小町の様子が変わり、自分で「小町のもとに通おう」と叫びます。小町に殊更心深かった深草四位少将の怨霊が乗り移ったのでした。少将の怨霊は生前の百夜通いの様を繰り返し、その怨みに苦しめられて心を狂わせるといいます。やがて我に返り、後生を願いつつ仏道に入りたいと願います。(「宝生の能」平成10年8・9月号より)

本曲の謡蹟 (平19・3記)

シテは小野小町、そして深草少将も登場するので、謡蹟としては随心院、小町寺が適当と思われるが、すでに「通小町」の項に掲載した。その他、小町関係の謡蹟は「草紙洗」「鸚鵡小町」「堰寺小町」などでも紹介したので、ここでは省略させていただく。

三島由紀夫の「近代能楽集―卒塔婆小町」 (平19・3記)

三島由紀夫に同名の作品があることを思い出し改めて読み直してみた。

「 恋人たちがベンチで抱擁している夜の公園。乞食の老婆が煙草の吸殻を拾いつつ登場し、一組の恋人たちを追い払い、ベンチを陣取る。そこへ酔っ払いの詩人が現れ、老婆に素性を問いかける。99歳の老婆は「むかし小町と呼ばれた女さ」、「私を美しいと言った男はみんな死んじまった。私を美しいという男は、みんなきっと死ぬんだ。」と答える。そして詩人が老婆に80年前の話をしてくれと頼み、老婆は「八十年前・・私は二十だ。そのころだったよ、参謀本部にいた深草少将が、私のところへ通って来たのは・・」と話し出す・・・」

美しいとは一体何なのか、年をとるということは何なのか、双方の作品を読み改めて考えさせられた。百人一首には小野小町の次の歌がある。
   花のいろはうつりにけりないたずらに わが身世にふるながめせしまに


−ニュース−

曲目一覧

サイトMENU

Copyright (C) 謡蹟めぐり All Rights Reserved.