車僧影堂

謡蹟めぐり  車僧 くるまぞう

ストーリー

都の西嵯峨野のほとりに、いつも無牛の破れ車で往来しているため「車僧」と呼ばれている貴い僧がいました。ある日車僧が西山の麓へ来て雪景色を眺めていると、愛宕山の天狗の太郎坊が山伏姿で現れます。そして、この奇僧を自分の魔道へ誘因しようと、禅問答をしかけますが、軽くあしらわれてしまいます。そこで、自分の庵に来るよう言い捨て、黒雲に乗って飛び去ります。その後に、太郎坊に仕える溝越天狗が現れ、車僧を笑わせようとしますが叶わず、逃げて行きます。
さて、車僧が太郎坊を訪ねて行くと、太郎坊は大天狗の姿で現れます。そして、車僧に行比べをいどみます。車僧の乗った車は、太郎坊がいくら打っても動かないのに、車僧が払子を一振りするだけで山路を自在に疾駆します。太郎坊はその法力に驚き、車僧に敬意を表し合掌して消え失せます。(「宝生の能」平成 12年12月号より)

車僧御影堂 京都市右京区        (14・4記)

車僧は深山正虎和尚といわれ、最後に住んでいたのが嵯峨野の海生寺という。太秦海生町の車僧御影堂は海生寺の跡といわれ、かなり広い敷地に小さな建物が一つポツンと建っている。堂の中には車僧の像が安置されているというが、門も閉じており、誰もいないので拝観することは出来なかった。
謡曲史跡保存会の駒札には次のように記されている。
「 堂内に元禄のころ廃寺となった海生寺の開祖深山禅師の像と位牌が安置されている。室町初期の肖像彫刻の特色をもっているが、江戸時代の「都名所図会」には、この僧いずれの姓の人か知れず、常に破れ車に乗り都大路を往来す、よって世の人、車僧と呼ぶ。七百歳の年歴を語る故に、名を七百歳とも称す―と書かれている。・・・ 」

車僧影堂 車僧御影堂 京都市右京区太秦海生町 (平12.8) 車僧が最期に住んだ海生寺の跡という

太郎坊宮(阿賀神社) 滋賀県 滋賀県八日市市  (平14・4記)

巨岩・奇岩が多く露出した赤神山の中腹にある古社で、正式の名は阿賀神社である。太郎坊とは愛宕山の天狗のことで本曲のシテである。この名がこの神社の通称となっているのは、白衣の太郎坊がこの社に現れ守護神となったからとか最澄が太郎坊の力を借りて開基したからとか諸説あるようであるが、神社の由緒によると、往時、この社の神徳を慕う崇敬者・修験者が続々と参拝して参籠するものが絶えず、「太郎坊の天狗」は当時の行者の姿を伝えたものとしている。
また、義経が鞍馬山を下りて奥州の地に向かう途次、この山に登り源氏再興を祈願したとも言われ、義経の腰掛石が今に残っているというが残念ながら見逃してしまった。頼朝も上洛の時この宮に幣帛を献じたという。
本殿の前にある夫婦岩という巨岩は、神力によって左右に開いたといわれ、この間を通って参拝するものには即座に病苦を除き諸願が成就されるが、悪心あるものは「岩にはさまれる」といわれる。
本堂前から眼下に広がる蒲生野の眺望は素晴らしく、「国栖」の項で紹介した「万葉の森船岡山もこの中にある。

太郎坊 太郎坊宮 八日市市 (平13.11) 本曲シテの太郎坊ゆかりの神社


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