氷室神社八木1

謡蹟めぐり  氷室 ひむろ

ストーリー

亀山院に仕える臣下が、丹後の国九世戸に行った帰途、若狭路にかかり氷室山に立ち寄ります。そこに老若二人の氷室守が通りかかったので、臣下はその老人から氷室の氷を供御するいわれや、一年中氷が溶けないわけなどを詳しく聞きます。
更に老人は、世の全ては君の支配下にあり、その出生は君の徳のためであると語り君を讃えます。今宵は氷調(ひつき)の祭があるので見て行くようにと勧めます。
すると急に日が暮れ、寒風が吹き出して雪が降り、老人は薄氷を踏むようにして氷室に入って行きます。時に辺りに楽の音が起こり、その音楽にひかれて、天女が出現して舞を舞います。続いて氷室の明神が塚の内に氷を持って現れ、氷を都へ届けるさまを見せるなどして、めでたく祝いおさめます。(「宝生の能」平成13年6月号より)

氷室神社  京都府八木町氷所  (平7・4記)

謡曲「氷室」の舞台になっている所である。亀山の院に仕える臣下(ワキ)が、丹後の国九世戸(文殊堂)に参詣の帰途ここに立ち寄り、前シテの氷室守の翁に出会う。そして後シテは氷室の神であるから、全曲を通してこの氷室神社あたりが舞台になっている訳である。
昨年11月、教授嘱託会の謡曲名所めぐり下見のため始めてここを訪ねた。国道から離れており、途中何回か道を聞きながら、林の中に静かに鎮座している神社に到着した。これほどの謡蹟だからかなり大きな神社で、「氷室」に関する資料も簡単に入手できると思っていたのだが、神社の案内板を見ても氷室に関する記述もなく、由緒を書いた資料も置かれていない。
しかし、思いがけぬところから思いがけぬ資料を入手できたのである。
というのは、今回は旅行社から連絡してくれたため、氏子代表の方が3名もわざわざ神社で迎えてくれたからである。神社わきの普段使っていない建物に案内され、お茶をいただきながらいろいろとお話を伺うことが出来た。そして、私どものためにわざわざ
 「氷室、氷室大明神の参考事項(1994・7・18)」
というB4版7ページの手書き資料をコピーして持参されたのである。
系統づけられたものではないが、いろいろの記録を抜粋されたもので、往時の様子をかいま見ることができるように思われるので、その中から氷室に関する部分を紹介する。
氏子代表の皆様、ご好意に厚くお礼申し上げるとともに、この貴重な謡蹟を末長く保存していただくようお願い申し上げます。

(参考資料)

「氷室、氷室大明神の参考事項(1994・7・18)」抜粋

○ 南北朝期に入ると氷室文書に・・・中略・・などとあり、神吉氷室がなお主水司領として大嘗会米(この際は後光厳天皇践祚の大嘗会米)などの公事を免除されていたことがわかる。

○ 文明五年(1473)氷室文書・・・中略・・などとあり、氷室をも包摂する氷所(あるいは氷所保)が禁裏御料所であったことがわかる。

○ 臥雲日件録 康正二年(1456)・・・中略・・とみえ、外記清原業忠の所領氷所から六月一日に献氷していたことが知られる。

○ 謡曲「氷室」は、亀山院の臣下が丹後の九世戸(現宮津市)の文殊に参詣した帰途、若狭路を経て、「丹波国桑田の郡」の氷室に立ち寄ったと述べ、「千年の山も近かりき」という「千歳山」(622.3M)は神吉上村と下村の境界近くにある。

○ 丹波志桑船記・・・当村の谷に氷室の池という五間四方の池があり、氷を献上したという伝えを載せ、当村に続く神吉下村の向山北麓に氷室がある。

○ 氷室大明神については、氷所太平記によれば、亀山天皇の御宇、氷室山より氷を六月朔日宮中に奉った。大宝三年(703)六月二日氷室がおかれた。

○ 主水司所管の氷室
山城国葛野郡徳岡、愛宕郡小野、栗栖野、上坂、賢木原、石前
大和国山辺郡都介、河内讃良郡讃良
近江国志賀郡部花(竜花の誤か?)
丹波国桑田郡池辺郷
の以上十ケ所あり。
・ 90cm角の荷物を8箇で一台の馬
・ 丹波の氷室からは毎日馬で一駄を出荷していた。
・ ・・それからは大堰川の舟便も利用して京へ運んだ。明治以後氷室の必要がなくなり、氷一日の神事だけとなった。

○ 氷室守は小路、人見、中川氏がつとめ、年齢順に之に当った。氷朔日には祭礼があり、九月一日まで、日々壮丁が氷を担いで禁裏に運んだ。仙洞御所内に氷を貯蔵する井戸があり、現存する。氷を馬で運んだ道中は、神吉から越畑を経、竜王ケ岳の麓から首無地蔵の北を巡り、高雄に出て、周山街道を宇多野、御室を経て御所に至った。

氷室神社八木1 氷室神社 京都府八木町 (平6.11)

(補足説明 平10・9記)
本番の名所めぐりは平成7年5月に実施された。この時も氏子の方々が歓迎してくれた。嘱託会報に掲載された会員の旅行記には次のように記されている。

「 昼食を了え、氷室神社に向う。相かわらず小雨が降る。石段を上ったところで「丹波氷室の里氷所」なる案内書を渡された。この氷室神社についての抜粋とあるが、箇条書に書いており、氷室神社の総てを知ることが出来た。
神社前の舞楽殿で地元の皆さんが十名ばかりで湯茶の接待があり、一同喉を潤す。「郷土史八木」を編集発行しておられる「八木史談会」会員の中山存之氏より氷室神社の故事来歴を聞く。氷室の行事は千三百年も前より行われ、一大行事であったことを知る。謡曲名所めぐりにより、謡跡を訪ね貴重な事跡を知り得たことをよろこぶ。 」

その折の舞楽殿前の写真と、曲中に出てくる青葉山の写真を掲げる。

氷室神社八木2 氷室神社 舞楽殿の前で地元の方の説明を聞く (平7.5)

青葉山 青葉山(車中より) 福井県宮浜町 (平6.11)

氷室神社  天理市福住 (平10・9記)

曲中に「仁徳天皇の御宇に、大和の国闘鶏(つげ)の氷室より、供へ初めし氷の物なり」とある。闘鶏は今の天理市に編入されている福住一帯の地で、ここに氷の神を祀る氷室神社がある。境内には「氷室神」と刻まれた大きな石がおかれている。近くの山林の中に氷室址が残っている由であるが、残念ながら見付けることは出来なかった。

氷室神社天理 氷室神社 奈良県天理市福住 (平8.9)

氷室神天理 氷室神の碑 (平8.9)

氷室神社  奈良市春日野町 (平10・9記)

闘鶏(天理市)の氷室は不便なところから、平城京遷都のころ、奈良の春日山麓に氷室を設けて闘鶏の氷室神を勧請したのが、この神社のはじまりという。後に現在の地に移された。

南禅寺 京都市左京区南禅寺福地町 (平10・9記)

南禅寺は曲中に搭乗する亀山天皇が造営して離宮であったが、後法皇となり、離宮を改めて禅林禅寺としたが、後南禅寺と改称されたという。

氷室神社奈良 氷室神社 奈良市春日野町 (平6.4)

南禅寺 南禅寺 京都市左京区 (平8.4)


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