熊谷次郎直実は須磨の合戦で少年敦盛を手にかけた後に出家して蓮生法師となり、このたびその霊を弔うため一の谷の古戦場へ向います。そこで法師は数人の草刈男に出合いますが、その中の一人に念仏を乞われます。名を問うと敦盛にゆかりの者と答えるので、懐かしく思って共に合掌し経を誦むうちに若者は時分が敦盛の亡霊であることを明かして姿を消します。
蓮生法師がなおも回向の読経をしていると甲冑姿の平敦盛の亡霊が現れて、平家全盛の有様から次第に衰えて行くまでの経緯を語り、さらに一の谷の陣中において得意の笛を吹いて最後の酒宴を催し、ついに直実の手にかかって果てた事に及びます。法師もこれを聞いて懐かしく思い出すうちに、敦盛の亡霊は往時の合戦の様子を再現し、「跡弔ひてたび給え」と言い残して消え失せます。(「宝生の能」平成12年8.9月号より)
この地には昭和60年、61年、平成2年と、3回ほど訪ねているので思い出も多い。
須磨寺では源平の庭と称する広い庭に配された、武者姿で馬にまたがった、熊谷直実の銅像と平敦盛の銅像に先ず圧倒される。直実に呼びとめられて敦盛が馬首をかえす場面である。16歳の初々しい顔だちが哀れを誘う。
源平の庭 敦盛を呼びとめる熊谷直実(右) 須磨寺 神戸市須磨区 (昭61.9)
碑の句 「笛の音に浪もよりくる須磨の秋」 蕪村
熊谷直実像 日の丸の軍扇をかざし敦盛を呼びとめる直実 須磨寺 (平2.5)
平敦盛像 呼びとめられ馬首をかえす敦盛 須磨寺 (平2.5)
境内にはまた、敦盛卿首洗池、敦盛卿首塚、義経腰掛けの松等もあり、宝物殿の中には、敦盛木像や青葉の笛等が陳列されている。
須磨寺の西方の海岸付近は須磨公園となっており、そこにも敦盛の塚がある由だが、私が行った時は工事中で訪ねることはできなかった。
<追記 平18.11> 平成12年9月、須磨公園を訪ね、「敦盛の塚」、「源平史蹟 戦の浜」碑をカメラにおさめることが出来た。また、曲中に謡われる須磨の関守の跡と言われる「関守稲荷神社」も訪ねることが出来た。
敦盛卿首洗池 この池で首を洗い義経公の首実検に供したという 須磨寺 (平2.5)
敦盛首塚 首をここに、胴は須磨公園の一角に葬ったという 須磨寺 (昭61.9)
敦盛木像 宝物殿に安置されている 須磨寺 (平2.5)
青葉の笛 須磨寺 (平16.5)
敦盛の塚 神戸市須磨区須磨公園 (平12.9)
源平史蹟 戦の浜碑 神戸市須磨区須磨公園 (平12.9)
関守稲荷神社 須磨の関の跡と伝えられ境内には関の由来、須磨の関古歌、石碑などがある。 神戸市須磨区関守町 (平12.9)
ロープウエイで「後ろの山」に上がってみる。鵯越えもこの近くの筈。さすがに険しい。それだけに見晴らしも素晴しい。海岸も眼下に見える。昔は文字どおり青松白砂が続いていたことであろう。
ここで源平の死闘が展開されたとは信じられないような光景である。
熊谷直実が出家し、法然上人の下で蓮生法師として修行したのが、京都市左京区の金戒山光明寺、土地の人々からは黒谷さんと呼ばれて親しまれている寺である。昨年9月、戦友会出席の帰途立ち寄ってみた。
本堂の前には立派な熊谷直実鎧掛けの松がある。出家にあたり直実は鎧を洗いこの松に掛けて乾かしたという。
また、境内の奥には直実と敦盛が向き合った供養塔がある。このように供養塔を向き合わせたのは直実の意志だったのかどうか知らないが、心にくいはからいである。ほのぼのとした心でこの寺を辞することができた。
熊谷直実鎧掛けの松 出家にあたり鎧を洗いこの松に掛けて乾かしたという
金戒山光明寺(黒谷さん) 京都市左京区 (平4.8)
直実と敦盛の供養塔 手前が敦盛、向側が直実仲良く向き合っている
金戒山光明寺(黒谷さん) (平4.9)
高崎線熊谷駅前に熊谷直実の銅像がある。須磨寺の直実像と同じく敦盛を呼び返した日の丸の扇を持っているが、なにしろ駅前のこととて周囲のビルや客待ちのタクシーのために思うような写真は撮れなかった。
直実の生誕の地とも屋敷址ともいわれる熊谷寺(ゆうこくじ)は駅から歩いて15分くらいのところにある。境内には熊谷蓮生坊大霊像と称する直実の石像がある。説明によると、「熊谷直実公 感ずる所あり出家し蓮生坊と名乗り諸国行脚を重ねし五十四歳頃の御姿なり。台座は武士時代用いし妙珍作の七十二剣星兜を型どり、特に滅後七百五十年御遠忌記念として同数に近い円型凸疣を附せり。猶僧用の袈裟、数珠、鉄杖総て当寺所蔵の御遺品に倣えたり」とある。
また、近くの箱田には蓮昭寺があり直実の念仏堂といわれている。現在はすっかり荒れた寺となっており、探すのに苦労したが、境内には由緒ありげな供養塔、石碑等があり、往時は立派な寺だったことを偲ばせている。
<追記 平成12・7>
熊谷直実の没した地についてはいろいろの説があり、熊谷寺とも、黒谷さんとも、或いは高野山ともいわれるが、西国札所33番の谷汲寺の近くにある横蔵寺も直実が住持してここで没したと伝えられ、裏山に山頂に墓がある由である。
高野山には熊谷寺があり、奥の院に向かう墓地には熊谷と敦盛の墓があるとのこと。今までに二回訪ねたがまだ見ていないので、今年の5月の嘱託会の名所めぐりを楽しみにしていたが、病気入院でその機会を逃してしまった。
<追記 平成18・11>
高野山の熊谷寺参拝は平成13年3月、四国88ヶ所詣でを終えた後高野山に詣でた折、漸く念願を達成することが出来た。
熊谷直実銅像 熊谷駅前 ビルとタクシーに囲まれた直実公は何を思う (平6.4)
熊谷寺 美しい庭にさまざまな花が咲き乱れていた 熊谷市仲町 (平6.4)
熊谷直実立像 兜の台座に立つ蓮生坊 熊谷寺 熊谷市仲町 (平6.4)
蓮昭寺 直実の念仏堂といわれる寺 熊谷市箱田 (平6.4)
横蔵寺 直実が住持、没したところという 岐阜県谷汲村 (平11.5)
高野山熊谷寺 和歌山県高野山 (平13.3)