謡蹟めぐり  鐘馗 しょうき

ストーリー

中国の終南山の麓に住む者が、天子に奏上すべき事があって都へ向かっています。途中海辺にさしかかった時、怪しげな者に呼び止められます。
話を聞くと、自分は鍾馗という者だが、昔、進士の試験に落第して御殿の階段に頭を打ちつけて自殺したが、帝の思召しで録袍(りょくほう)を賜って及第の取扱いを受けた。それに恩を感じ、執着の心を改めて後世のために善をなさんと誓いを立て、悪鬼を滅して国土を守護するので、奏上してほしいと頼みます。旅人が、確かに申し上げようと約束すると、鍾馗は、会った印に夢の中で真の姿を見せようと言って、虚空に昇って姿を消します。
山下に住む者に鍾馗のことを詳しく聞いた旅人が、法華経を読誦して鍾馗の霊を弔っていると、鍾馗が真の姿で現れます。そして、世を乱す悪鬼を退治するところを見せ、治まれる国土として、消え失せます。(「宝生の能」平成12年10月号より)

本曲クセの名文句  (平15・2記)

普段あまり馴染みのない曲であるが、今回改めて読み直してみたら、クセの部分の名文句を見つけた。原文を掲げ、謡本の本文大意と佐成謙太郎「謡曲大観」により意訳を試みた。

  「 一生は風の前の雲。夢の間に散じやすく三界は水の上の泡光の前に消えんとす。猗蘭殿(きらんでん)の内には有為(うい)の悲しみを告げ。翡翠(ひすい)の帳の中には雨漏(うろ)の願力ありとかや。栄花はこれ春の花。昨日は盛んなれども。今日は衰ふわんりきの。秋の光。朝に増じ。夕べに減ずとか。春去り秋来って。花散じ葉落つ時移り気色変じて。楽しみ既に去って悲しみ早く来れり。シテ 朝顔の花の上なる露よりも 地 はかなきものはかげろふの。あるかなきかの心地して。世を秋風の打ち靡き。群ゐる田鶴(たず)の音を鳴きて四手(しで)の田長(たおさ)の一声も。誰がよみぢをか知らすらん。あはれなりける人界をいつかは離れはつべき 」

(意訳)
「 人間の一生というものは風に吹き払われる雲のようなもので、夢の間になくなってしまい、この娑婆世界は水の上の泡や稲妻のようにたちまち消えてしまうものだ。猗蘭殿(漢の皇帝の宮殿)の内にあっても諸行無常の悲しみはあり、美しい帳の中にあっても菩提を求める心が起こるのだ。栄華は春の花と同じで昨日は盛んであっても今日は早や衰え、またあの澄み切った秋の光が朝は盛んだが、夕には衰えてしまうようなもので、春が去り秋がきて花は散り葉は落ち、時節は移り変って、楽しみは間もなく去り、悲しみがたちまち来るのである。
全くこの世は、朝顔の花の上の露よりもなおはかないもので、あの陽炎のような、あるかないか分からない心持がする。故に世を厭い、秋風に吹かれる鶴の群れのように泣き悲しんで、四手(死出)の田長(時鳥)の一声を聞いても、この哀れな人間界を、何時になったら離れることが出来るのであろう。 」

書籍、インターネットで探る謡蹟 (平19・2記)

小倉正久著「謡曲紀行」(白竜社刊)

鐘馗の出身地「終南山」と、進士の試験に失敗し宮殿の階段に頭を打ちつけ空しくなったという「宮殿」が紹介されている。

「終南山」・・鐘馗は終南山のあたりの出身で、進士を目指した。終南山は中国の西部を南北に分っ秦嶺山脈の一峰で、太白山とともに日本人に古くから好まれた山である。西安郊外の興教寺からの遠望の写真あり。

「宮殿」・・西安城外郭城外北部の「唐大明宮遺址」が歴代皇帝が政務をとった所として写真とともに紹介されている。

インターネットによる検索

かなり調べてみたが見付からなかった。


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