枕慈童2

謡蹟めぐり  枕慈童 まくらじどう

ストーリー

古代中国、魏の文帝の頃。?懸山(てっけんざん)の麓から霊水が流れ出るというので、勅使が源を尋ぬるべく、その山に赴きます。勅使の一行は菊の花の咲き乱れた山中の庵に、不思議な少年を見つけます。
「人間の住まぬこの山奥にいるお前は化生の者か」と尋ねると、「私は周の穆王に仕えていた慈童です」と答えます。周とはもう数代も前の世。驚いて話を聞くと少年は誤って王の枕をまたいだ罪でこの山に配流されたが、少年に悪意のないことを知った王から偈の妙文を書きそえた王の枕を与えられ、少年がその経を菊の葉に移し書くと、葉の露が霊薬となり、それを飲んでいたため少年は七百歳もの寿命を保つことができたというのです。慈童自身も自分の長命に驚き、楽しく舞を舞った後長寿を君に捧げ、そのまま菊をかき分け山の仙家へと帰っていきます。(「宝生の能」平成13年10月号)

渡邊三郎先生の能「枕慈童」 (平19・6記)

私の師匠渡辺三郎先生の演能記録192番の最後に舞われたのがこの「枕慈童」である。平成11年11月の月並能(宝生能楽堂)がその舞台である。
平成14年6月、先生の主宰する渡雲会65周年記念全国大会の折、記念誌が作成され、その表紙に先生の「枕慈童」の能の写真が使われたので、この写真を掲げる。裏表紙の写真には先生の俳句「傘寿過ぎ能舞終へり菊日和」が添えられている。
その時から更に5年を経過し、先生も卒寿を迎えられる。本年6月17日には宝生能楽堂で「祝 渡邊三郎先生 卒寿 渡雲会七十周年記念大会」が開催された。

渡邊三郎能枕慈童1 渡雲会65周年記念誌表紙 渡邊三郎先生の能「枕慈童」 (平11.11)

枕慈童2 渡雲会65周年記念誌裏表紙 渡邊三郎先生の能「枕慈童」 (平11.11)

書物で探る「枕慈童」謡蹟 (平19・6記)

小倉正久著 「謡曲紀行』(白竜社刊)

河南省南陽市櫑?県。?県山。今の山東省とも内郷県の東北部ともいうが、分からない。・・
陜西省戸県の農村の中にわずかに周の王季の宮殿跡と伝えられるものがあるが、まだ参考地の域を出ない。穆王の陵墓と伝えられる遺跡も西安にあるが記載がはっきりしない。宮殿跡は小学校になり、美しい水を貯えた池は空翠堂となって、唐代には杜甫が来遊し詩を詠んだ。・・
ちなみに東周と魏の都は洛陽で、王城公園に宮殿がある。


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