雲林院の門

謡蹟めぐり  雲林院 うんりんいん

ストーリー

津の国芦屋の里に住む公光は、幼少の頃から「伊勢物語」を愛読していました。或る夜の不思議な夢に導かれて雲林院を訪ねると折しも花の盛りと桜が咲きみだれています。夢に見たままの美しさに一枝手折ろうとすると、どこからともなく由ありげな老人が現れてそれを咎めます。
二人は桜を詠んだ古歌をひいて花を折ることの是非を争いますが、結局お互いの風流心を認めて仲直りします。公光が霊夢によって都へ来た由を告げると、老翁は我こそが在原業平であるとほのめかして夕霞にまぎれます。
やがて天中に月は昇り、花の木陰で仮寝をする公光の夢に殿上人姿の業平が現れます。伊勢物語に伝わる業平と二条の后の恋を物語り、更に昔を偲んで雅やかに舞を舞いますが、いつしか公光の夢もさめて業平の姿は消えて行きます。(「宝生の能」平成11年4月号より)

雲林院   京都市北区紫野雲林院町   (平6・9記)

雲林院は初め紫野院といい、淳和天皇(53代)の離宮であった。光孝天皇の仁和2年僧正遍昭(百人一首の 天津風雲の通ひ路吹きとじよ 乙女の姿しばし留めん で有名)が勅許を得て元慶寺の別院とした寺で、今の大徳寺から南方に広い寺域を占めていた。後醍醐天皇の御代、雲林院は荒廃し、その敷地を宗峰妙超(現大徳寺開山である)に賜わった。すなわち大徳寺の前身であり大徳寺の発祥の地である。今は昔の面影もなく観音堂一宇が残り、観世音菩薩を本尊とし法灯をついでいる。
私も初めは雲林院といえばかなり大きなお寺を想像していたが、実際に訪ねてみると小さなお堂が一つあるだけである。本曲にあるように公光が訪ね上って咲き乱れる花を手折ろうとしても花を植えるスペースもないほどの狭さである。この物語が書かれた頃は今の大徳寺あたりも含めて広いところだったようだ。
京都の業平邸は雲林院からはだいぶ遠くなるが、京都御所の南、御池通り東洞院南角あたりとのことで、二条の后の邸もすぐ隣であったという。

雲林院の門 雲林院の門 昔は大きな寺だったようだが、今は門と一堂を残すのみ。京都市北区紫野 (平6.4)

雲林院本堂 雲林院 門をくぐるときれいに整理されたお堂がある (平6.4)

芦屋市の謡蹟  兵庫県芦屋市   (平5.4記)

ワキの公光は芦屋の里に住んでいて、幼少の時から伊勢物語を好んでいた。ある夜不思議にも紅の袴をつけた女性と束帯した在原業平とが、雲林院の花陰に伊勢物語の草紙を持ってたたづんでいる夢をみて都に上ったのである。
芦屋には業平も住んでいたことがあり、市民会館の場所に業平別荘の址があるというので訪ねた。芦屋市は阪神地区の高級住宅地として知られ、街のまんなかを芦屋川が流れその両岸にうつくしい町並みや公園が続いている。
市民会館は分かったが、別荘址とは確認できなかった。それでも、公光(きんみつ)の名をとった公光橋や、業平の名をとった業平橋や業平という地名を見つけることができた。業平の父、阿保親王の陵、親王塚もある由だが、見逃してしまった。
この高級住宅地に二人が住んでいたと思うと、芦屋市も急に身近なものに感じられてきた。芦屋川に沿って河口まで歩いてみる。広い松林の公園の中を歩いてゆくと、「鵺」にゆかりの「ぬえ塚」があった。

芦屋川 芦屋川 この美しい町に業平と公光は住んでいた。芦屋市 (平2.5)

業平橋 業平橋の標識 芦屋市 (平2.5)

公光橋 公光橋の標識 芦屋市 (平2.5)

芥 川  大阪府高槻市 (平5・4記)

高槻市に芥川なる川がある。摂津峡の下流になるそうで、上流の眺めは美しいようだ。この辺はなんの変哲もないが、立派な標識板があったのでカメラを向けた。
本曲の芥川が内裏にあった塵芥を流す川とすれば、都からここまで運ぶのは大変な話で曲中の芥川とはどうも違うようだ。

芥川 芥川 京都からは遠い 高槻市 (平3.9)


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