鬼の足跡

謡蹟めぐり  大江山 おおえやま

ストーリー

源の頼光は丹波の国大江山に住む酒呑童子と呼ばれる鬼を退治せよとの勅命を奉り、山伏に変装して保昌及び四天王など五十人の家来を引き連れて大江山に分け入ります。途中出会った女の手引きで酒呑童子の家に至り、道に迷った態で一夜の宿を求めます。
桓武天皇の勅に従って比叡山を出て以来、出家には手を出すまいと決めている酒呑童子は少年の姿で快く一行を迎え、昔の経歴を隠さず物語り、酒宴を催して舞い戯れるうちに酔い倒れて寝所へ入ります。頼光たちはこの様子を見て、今こそ好機到来と武装を整えて寝所へ攻め込みます。酒呑童子は頼光らを見て驚き立ち上がり、好意をあだにした襲撃に怒り、悪鬼の形相を現して猛威をふるいますが、頼光は少しも騒がずに鬼神を刺し通し、ついに鬼神の首をあげ退治して一同は喜び勇んで都へ帰って行きます。(「宝生の能」平成 12年6月号より)

大江山にくるまでの酒呑童子の謡蹟   (平7・1記)

酒呑童子は越後の生まれ。楞厳(りょうごん)寺、国上寺で修行したが、美男で大酒を呑み、乱暴で、近所の娘をかどわかしたりするので、放逐され信州戸隠山(写真は「絵馬」参照)に流れ、ついに大江山にたてこもったといわれる。

国上寺 酒呑童子は若い頃この寺で修行した 新潟県分水町 (平3.10)

曲中に「我比叡山の重代の住家とし、年月を送りしに」とあるように大江山に行くまでには比叡山にも何年か住んでいたようである。ここで伝教大師に出会ったのであろう。

比叡山根本中堂 比叡山 延暦寺根本中堂付近 滋賀県大津市坂本本町 (平10.4)

また、「天の橋立与謝の海」の語句も出てくる。天の橋立(写真は「絵馬」参照)付近の海が与謝の海で、大江山も近い。

大江山(大江町)の謡蹟 (平7・1記)

頼光一行は大江山に近づいてから、宮津市の成相寺に落ち着き、ここから鬼退治に向かったといわれる。ここから大江山に行くには不甲峠から大江町に通ずる山道を登り、二瀬川に沿って下り、途中から右に入ることとなる。
私が最初に大江山を訪ねた時は、逆に京都から福知山を経て北近畿タンゴ鉄道を北上、大江駅を下車してタクシーで二瀬川を遡ったので、その順序に沿って謡蹟を掲げることとする。

大江町では鬼退治伝説にちなんで、鬼をテーマとして町おこしをはかっており、酒呑童子の里、日本の鬼の交流博物館、鬼のモニュメント等、さまざまなアイデアをこらした施設が整備されつつある。
駅前の鬼瓦公園もその一つで、日本全国から鬼瓦を集めて駅前の広場に陳列し公園としているが壮観である。

鬼瓦公園 鬼瓦公園 日本全国から鬼瓦を集めて陳列する 京都市大江町大江駅前 (平5.9)

二瀬川渓流の谷間の村にある「鬼ケ茶屋」は、酒呑童子が都への往復に休んだ所といわれ、秘蔵の鬼退治の7枚のふすま絵がある。くすんだような色あいがドラマチックな夢物語を語りかけてくるようである。

鬼ケ茶屋ふすま絵 鬼ケ茶屋のふすま絵 色も褪せてきたが迫力がある 大江町 (平5.9)

鬼ケ茶屋を出て二瀬川に沿って登ると鬼の足跡、頼光腰掛け岩の表示板が目に入る。ここで頼光と鬼が戦ったという。「鬼の足跡」は鬼が遠くの山から飛びおりたところという。「頼光の腰掛け岩」はあまりに大きく「鬼の腰掛け岩」のほうがふさわしいような代物である。

鬼の足跡 鬼の足跡 鬼と頼光一行の合戦の場 京都府大江町 (平5.9)

頼光腰掛け岩 頼光腰掛け岩 鬼の腰掛け岩のほうがふさわしい 京都府大江町 (平5.9)

鬼の足跡あたりから二瀬川もだんだん流れが急になってくる。頼光の一行はこの川で捕えられてきたとおぼしき官女が洗濯をしているのに出会い、その官女に道を訪ねて酒呑童子のいる大江山の窟に向かったという。昨年訪ねた時にはこのあたりに吊り橋がほぼ完成しており、美しい景色を眺め史跡をめぐる遊歩道の建設が進められていた。

二瀬川 二瀬川  この川で官女が洗濯しているのに会う 京都府大江町 (平5.9)

二瀬川をさらに登ると、酒呑童子の里入口が見えてくる。大きく「酒呑童子の里」と書いた看板があり、赤い鬼の人形が金棒を持って出迎えてくれる。少し進むと山伏姿の頼光一行の人形も見える。

酒呑童子の里 酒呑童子の里 赤い鬼の人形が迎える 京都市大江町 (平5.9)

頼光一行の人形 頼光一行の人形 山伏姿で酒呑童子の里に立つ 京都府大江町 (平5.9)

酒呑童子の里を少し登ると「日本の鬼の交流博物館」があり、変わった外観や入口前に立つ巨大な鬼瓦に度肝を抜かれる。内部には鬼に関する数えきれない程の資料が陳列されている。また、博物館近くの丘にはこれも巨大な鬼のモニュメントが人目をひいている。

鬼の博物館 日本の鬼の交流博物館 近代的な建物である 京都府大江町 (平5.9)

巨大な鬼瓦 巨大な鬼瓦 博物館の入口に建つ 京都府大江町 (平6.11)

鬼退治の屏風絵 鬼退治の屏風絵 巨大な屏風絵に圧倒される 博物館内 (平6.11)

博物館内部 博物館内部 鬼瓦、鬼の面、鬼の絵等々、沢山の資料を陳列 博物館 (平6.11)

鬼のモニュメント 鬼のモニュメント 博物館近くの丘の上に建つ 京都府大江町 (平5.9)

鬼のモニュメントから千丈が岳(大江山)に向い3千米ほど登ると鬼嶽稲荷神社がある。八合目ほどにあたるらしいがここまでは車で来られる。このあたりも童子の住家だったらしいが、ほんとの住家の窟、本曲の舞台はここから険しい山道を登らなければならない。私の足ではとうてい無理と思われたので、窟の探検は諦めた。

鬼嶽稲荷神社 鬼嶽稲荷神社 大江山八合目あたり 京都府大江町大江山近く (平5.9)

頼光関係の謡蹟 (平13・5記)

曲中に頼光やその部下、保昌、金時等が登場するが、その謡蹟は「土蜘」の項で取り上げる予定である。

桓武天皇と伝教大師の謡蹟 (平13・5記)

曲中に桓武天皇の名が出てくる。平安遷都を行い、京都の都としての礎を築いた。現在の京都御所は、昔の大内裏とは別の場所で、現在の中京区千本丸太町あたりから南の広大な地域にあったようである。往時の内裏跡には大極殿遺址の石碑や平安京復元イラスト等が建てられている。
また桓武天皇を偲び、平安遷都を記念して明治28年に平安神宮が建立された。桓武天皇稜は桃山にあり、大津市坂本の慈悲眼寺裏の墓地には立派な桓武天皇宝塔が立てられている。

京都御所 京都御所 現在の場所は平安時代とは異なる 京都市 (平8.4)

大極殿址碑 大極殿遺址の碑 このあたり平安時代に御所があった 京都市中京区東町 (平10.4)

平安神宮 平安神宮 平安遷都を記念して明治28年建立 京都市左京区 (平8.4)

桓武天皇宝塔 桓武天皇宝塔 立派な宝塔である 大津市坂本 慈眼寺 (平10.4)

伝教大師の謡蹟 (平13・5記)

曲中に「大師坊といふえせ人、嶺には根本中堂を建て、麓には七社の霊神を斎ひし無念さに・・」とある。伝教大師は最澄のことでこの言葉どおり、比叡山延暦寺の総本堂、根本中堂を創建した僧である。奥比叡ドライブウエイの峰道レストランの近くには高さ5.75メートルの大きな伝教大師御尊像が建っている。

根本中堂 根本中堂 比叡山延暦寺の中心、伝教大師の創建 比叡山 (平10.4)

伝教大師像 伝教大師御尊像 石組とも約11メートルの高さ 比叡山 (平10.4)

伝教大師開基として知られる寺のうち訪ねたものを掲げる。京都洛北の三千院は最澄が比叡山根本中堂を造営の際、東塔の南谷に一宇を建てたのが起こりで、その後堀河天皇の皇子が入室してより代々法親王が住持し、門跡寺院となった。京都東山の長楽寺は清盛の娘、高倉天皇の中宮、建礼門院が出家したところとして知られる。比叡山の西麓にある曼殊院も伝教大師の開基の門跡寺院である。
岐阜県谷汲村の横蔵寺(写真は「敦盛」参照)は熊谷直実が住持、没した寺であり、千葉県の笠森寺は坂東の札所でもある。

三千院 三千院 観光客で賑わう 京都市左京区大原来迎院町 (平6.5)

長楽寺 長楽寺 建礼門院が出家したところ 京都市東山区円山町 (平6.9)

曼殊院 曼殊院 比叡山西麓の門跡寺院 京都市左京区一乗寺竹の内町 (平8.4)

笠森寺 笠森寺 笠森観音として知られる坂東札所 千葉県長南町 (平1.8)


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