諸国一見の旅僧が初瀬詣での道すがら在原寺を訪れ、業平とその妻の紀有常の娘を弔っています。そこへ、里女が古塚に花水を手向けに来たので声をかけると、女は僧の問にまかせて当寺の開基業平のこと、その妻のことを語ります。
古塚のそばで遊んだ幼い男女が生長し歌を贈り合い夫婦になったこと、また業平が一時他の女の許に通ったときに妻は恨むどころか通い路の無事を歌に詠んだのでいじらしく思い、再び仲睦まじくなったことなどを聞かせます。そして、自分こそこの有常の娘であると明かして井筒の陰に消えます。
旅僧は回向をして、夢の出会いを期待して仮寝をします。すると井筒の女の霊が業平の形見の衣裳をつけて現れ、舞をまい、我が姿を井筒の水に映して業平の面影をなつかしみますが、やがて夜明けと共に朧ろげな幻となって消え失せ、僧も夢から覚めます。(「宝生の能」平成12年2月号より)
奈良県天理市に在原寺址・在原神社がある。建物としては神社というより祠と言うのがふさわしい在原神社があるだけ。こじんまりした敷地に一むら薄の下に在原寺址とようやく読める石柱が立っており、近くには夫婦(めをと)竹も残されている。神社の左側には「筒井筒」の立札とともに屋根で囲った筒井筒の井戸がある。
案内板によってここの説明をしていただくことにする。
「 在原寺跡と在原神社
祭神 阿保親王、在原業平
在原寺は、平安朝のはじめ、平城天皇の御子、阿保親王が承和2年(835)に創建されたという説と寛文寺社記の元慶4年(880)草創とがある。平安時代の始め(9世紀)からここに在原寺があったことを物語っている。明治初年までは本堂、庫裡、楼門などがあったが、本堂は大和郡山市若槻の西融寺に移されて廃寺となって阿保親王と在原業平をまつる在原神社が残っている。
社殿は大正9年に修理改築され一間社、寄母屋造り、正面千鳥破風、及び一間向拝付きという変わったもので、もとの紀州侯寄進の立派なものであったといわれている。
在五中将在原業平はわが国随一の歌人で、また容姿端麗であったといわれる。業平の作という伊勢物語にのせられた歌物語の「筒井筒井筒に掛けし麿が丈生ひにけらしな相見ざる間に」の歌や、謡曲の井筒にちなんだ筒井筒、めをと竹、一むら薄など、今は石標ととものその名残をとどめている。 天理市教育委員会 」
在原神社 在原業平、阿保親王を祀る。奈良県天理市 (平8.9)
夫婦(めをと)竹 在原神社 (平8.9)
在原寺址の石柱 一むら薄に覆われている 在原神社 (平1.5)
筒井筒の井戸 在原神社 (平8.9)
在原業平関連の曲としては、「井筒」のほかに「雲林院」「杜若」「小塩」があり、業平の歌が強調されている曲に「隅田川」がある。それぞれの曲に固有の謡蹟は、その曲の項で紹介することとし、ここでは業平のことと、業平関係の一般的な謡蹟で私が訪ねたものを紹介する。
在原業平は平安初期の歌人。六歌仙、三十六歌仙の一人。平城天皇皇子の阿保親王の五男。母は桓武天皇の皇女伊登内親王。業平は五男の在原であったあので在五(ざいご)とも呼ばれた。紀名虎の子有常の女を妻とし、名虎の女が生んだ文徳天皇の皇子惟喬親王と親しかった。17歳で右近衛将監となり、蔵人、左兵衛佐、右馬頭を経て、53歳で従四位上右近衛権中将となった。相模権守、美濃権守、蔵人頭を兼任、56歳で没した。
業平の歌は「古今集」「後撰集」「業平集」などに収められているが、豊かな心情の表現と発想の奇抜さに特色がある。紀貫之は「業平はその心あまりてことばたらず。しぼめる花のいろなくて、にほひのこれるがごとし」と評してしるが、この言葉は「井筒」の中にも引用されている。
埼玉県新座市の平林寺裏山に業平塚がある。業平が東(あづま)くだりの折、武蔵野が原に駒を止めて休んだという伝えがある由。野火止の塚と同じく、昔野火を遮るために築いたものだが、後世物好きの人が伊勢物語によってこの名をつけたものだろうという。
塚の上に石碑を立て「むさし野にかたり伝えし在原のその名を偲ぶ露の古塚」と刻んだというが、現在この歌碑はない。
業平塚 平林寺裏山にある (平8.1)
業平の晩年の隠棲の地であり死没値であるという伝承が滋賀県マキノ町にある。在原の地名が現在も残っているが、かなりの山奥である。在原の里には茅葺きの古い民家が残っている。業平の墓は地図に載ってはいるが探すのに苦労した。近くには業平の腰掛け石もあった。古今集の詠歌「千早ふる神代もきかず竜田川、から紅に水くぐるとは」の地もここで、近くを流れる川が辰田川だという。
有原の里 古い茅葺きの家もある鄙びた山里である。 (平10.4)
在原業平の墓 山林の樹木の中、探すのに苦労した (平10.4)
業平の腰掛け石 立札はまだ新しいようだ (平10.4)
竜田川 古今集の有名な和歌「千早ふる・・」に詠まれた川という (平10.4)
京都の吉田山の山頂、竹中稲荷社の裏の林の中にも業平の塚があり、業平の住居があったと伝える。
竹中稲荷社 吉田山山頂にあり近くに業平の塚がある。 (平8.4)
業平塚 (平8.4)
上賀茂神社にある岩本社は和歌の神として業平を祀る。
岩本社 和歌の神として業平を祀る (平6.4)
厳密には謡蹟ではないが、佐渡市の両津に佐渡能楽の里があり、能楽関係の資料が沢山展示されている。
その中に実物そっくりの人形「井筒」もあるので写真を掲げてみる。
人形「井筒」の女 等身大の人形である (平9.5)
佐渡能楽の里 新潟県佐渡市 (平9.5)