甲斐の国身延山の僧が、衆生済度のため修行を思い立ち、諸国を廻っているうちに摂津の国住吉の里に着いた。俄に村雨が降ってきたので近くの家に宿を借りた。家の中を見ると舞楽の太鼓と衣裳が飾ってあるので不思議に思いそのいわれを尋ねた。すると主の女は次のように語るのであった。
昔この国の天王寺に浅間という太鼓の上手の者がおり、また住吉にも富士という太鼓の上手の者がいた。その頃内裏において管弦の役を争い、互いに京都に上ったが、富士がその役を賜ったので、浅間は心憎く思い遂に富士を殺してしまった。このことのあった後富士の妻は夫の死を嘆き悲しんで、常に太鼓を打って心を慰めていたが、それも今はついに亡くなった。跡を弔ってたまわれという。僧はいよいよ不審に思い、富士のゆかりの者かと聞けば、女は思いの深い者、この年頃忘れていたが今また執心に苦しめられる身となったと告げ、助けて下さいと言って消え失せた。
僧はねんごろに経文を唱えていると、富士の妻の霊は在りし日の夫の衣裳を身につけて現れ、懺悔の舞を舞って妄執を払うようであったが、楽の音は松風の音にまぎれ、面影を残して亡霊の姿は見えなく消え失せてしまった。(謡本の梗概を意訳)
住吉大社の境外末社に浅沢神社があり、市杵島姫を祀るが伝説では本曲のシテを祀るともいう。住吉大社の由緒によると、この神社は福の神、婦人の作法、芸事の守護神として崇敬されており、昔は浅沢小野「かきつばた」として世に知られた名所だったとのこと。拝殿には奉納された提灯が飾られ華やかな雰囲気を醸し出していた。
浅沢神社 住吉神社境外末社 (平12.8)
浅沢神社拝殿 沢山の提灯が奉納されている 住吉大社 (平12.8)
住吉大社の境内に大きな石舞台がある。日本三舞台の一つで、舞楽を奏する所で重要文化財に指定されているとのこと。慶長年間に豊臣秀頼が楽所とともに奉納したものと記されている。また境内には神楽殿もあり、往時から神社では歌舞音曲が重視されてきたことが知られる。楽人富士もこのような所で太鼓を奏していたのであろうか。
調べて見ると四天王寺にも石舞台や太鼓楼、楽舎などがあるようである。こちらは楽人浅間が仕えた所である。
住吉大社石舞台 日本三舞台の一つという 住吉大社 (平12.8)
四天王寺 ここにも石舞台があるようだ 大阪市天王寺区 (平2.8)
曲中に「浪もて結へる淡路潟」とある。淡路島の海辺と理解して淡路島より見た明石大橋と明石海峡を掲げる。
淡路潟 明石大橋と明石海峡 兵庫県淡路町 (平12.9)